ロバート・エルスウィットによる凍てつくようなカメラが絶品。こんなにもイタリアを寒々しく撮った作品があるだろうか。全カット無駄のない極上。監督スティーヴン・ザイリアンは前作『ナイト・オブ・キリング』も人物の動詞を積み重ねる冷徹な描写で、今回はこれに変温動物の如きアンドリュー・スコットがハマっている。
E5
息を呑む傑作回。描写で魅せるスティーヴン・ザイリアン節の真骨頂。後半約30分はほとんどセリフがない。どこまでも空虚なアンドリュー・スコットのリプリー像。フレディ役エリオット・サムナーのジェンダーレスな個性が面白く、誰かと思えばスティングの娘!
完走。
最終回ではカラヴァッジョが明確に引用される。ザイリアンが全8話モノクロで『太陽がいっぱい』を再映像化したコンセプトを、自ら解き明かしているようにも思えた。ピカレスクロマンも同性愛の要素もほぼオミットし、現代社会に少なくないであろう利己主義な男を冷徹に観察する。神は信じないが、偉大な行いは殺人に優るという思考。
ダコタ・ファニングは現在30歳。子役時代から「この子は演出意図も作品意図も完璧に理解してるな」と思えたが、歳を重ねれば当然、バイプレーヤーに。リプリーとある種の共犯関係を結んでいるようにも見える終盤は、彼女の巧さで成立していた。マーゴもまたリプリーと共にディッキーを複製、拡散し名声を得ている。