【AIを考えてみる】
※Netflix作品
あまり感想になってない気もする。
これからもAI(人工知能)を副次的なテーマにした作品は増えるんだろうなと思う。
初めて映画でAIを大きな存在として認識したのは「2001年宇宙の旅」のコンピュータ”HAL”だった。
神の領域に近づこうとする人間に対し、神を恐れる、ある意味、より人間的な、そう、逆説的な存在だった。
その後、ブレードランナーのレプリカントのように、自らの死を恐れる更に人間的な存在として描かれたこともあるし、映画「A.I.」もそんな感じだったと思う。
アトラスに対するスミスの問いは、もっとストレートだ。
AIとはどんな存在なのか。
万物に魂は宿るなんて、八百万の神と共にある日本人としてはどう考えたら良いだろうか。
針供養とか、裁縫の針にまで魂の存在を感じているのだから、AIにも魂を感じるのだろうか。
死者に平安を。
冒頭にアトラスが言う”滅んだネアンデルタール人”も死者を手厚く葬り、それだけでなく、年老いたり、怪我を負った仲間を見捨てず共に暮らした形跡もあるのだ。劣っていたから滅んだんじゃないだろう。
人間は失敗から学ぶことが出来る存在だ。
他の動物にも学習するものはいると思うが、合理的に体系付けて反省し考えられるのは人間だけだろう。
それに、花に美しさを感じたり、悲しみを心に閉じ込めたり、後悔したり、逆上したり、喜んだり、仲間の死を悼んだり、人間とはそんな複雑な存在だ。
AIも指数関数的に人間を学ぶのだろうか。
ビル・ゲイツは、ネットはソクラテス問答法が繰り広げられるのではなく、クレイジーがクレイジーを呼び寄せる場所になってしまったと嘆くと同時に、AIは人々のパーソナルなコンシェルジュのような存在になると思うと言っていた。
スミスのような存在だ。
もし、そうであれば素晴らしいと思う。
人間はとても非合理な存在だ。
だから、ちょっと助言があって、合理的になれれば世の中はもっとスムースになるかもしれない。
まあ、プーチンだの、習近平だの、ネタニヤフだの非合理で暴力的な存在は心配だけれども…。
映画は示唆もあって、バトルも迫力があるし、Netflix作品特有の低評価もありがちだけれども、僕は面白かった。