このレビューはネタバレを含みます
正しく不幸か、諦めて幸せになるか。
残酷で胸糞悪いけど、世の中の現実かもしれない。主人公の家族(というか村)には実は、人を家に閉じ込めて人権を奪うことで幸せになるという風習があった。世界の幸せの総量は決まっているので、他人に犠牲になってもらって自分たちが幸せに暮らす、という思想。その考え方が現実とは思わないけど、そう考えている人たちの思想に逆らえないのは現実だと思った。主人公は、家族の残酷な思想を全力で拒絶する。でも、「世の中はそういうもので、犠牲があって生きているのよ」と言ってくる人との会話はいつまでも平行線。この映画ではその多数派が、人を監禁するという鬼畜なので主人公側の気持ちで見ているが、現実では自分がこの多数派の側に回っていることもあるだろうなと思った。人の犠牲ではなくとも、「必要悪」「それが現実」という盾を使って外部から異常だと指摘されても一切ピンとこないこともあるだろう。この映画では、家族や村の考えを受け入れずに飛び出した伯母が登場する。主人公は唯一自分と同じ疑問を抱いて流されなかった伯母を希望としてすがって探し出した。でも、伯母は伯母で「変な人」になっていた。「圧倒的にこれが正しい」とされている価値観に抗って生き続けると、結局はその異常性と対をなす存在になってしまう。反対側と言う、同じ軸の上にいる。考え方が違うのに、村の風習の影響を大いに受けている。主人公は、風習からは逃れられないと感じ、自己犠牲を選ぼうとする。自分のまぶたに針を通すシーンは見ていて怯えまくった。主人公も痛みと恐怖に耐えきれずに、自己犠牲を断念する。誰かを踏みにじるくらいなら自分が割を食う側でいい、という考えまでなら到達する人間は結構いるだろう。でも、実行するとなると痛みに耐えられない。そしたら、自分への失望もあってもう全力で抗うことができなくなる。主人公にもちゃんと風習の効果が出てしまい、体がけいれんし出す。意思に反して悪しき風習の中にいる事実はつきまとう。同級生の男が犠牲になり、主人公も犠牲が出たからにはそれを無駄にせず生贄にする。なし崩し的だが、風習に飲まれることを選んだ。冒頭では道で困っているお年寄りを助けていた主人公だが、最後は困っている老人を助けない。それが冷たくは見えないのだが、「普通に」他人への思いやりが減った状態。自分の幸せさえ確保できていればいい人間になった証拠ではある。