【リリースと、そこはかとない希望/変化する時代の中で】
漠然とした不安、そこはかとない緊張、そしてリリースされる感じ。
昔、大学のゼミの恩師と村上春樹作品のどこが好きかという話をした時に、恩師は「さらっと救ってくれる感じ」とおっしゃっていたが、僕は救済というより、リリースされる、ちょっと開放とも違う感覚を覚えていた。
しかし、時を経て、日本は複数の大震災や頻発する豪雨被害、そして、テロまで経験して、不安や緊張は漠然としたとか、そこはかとないなんて言えなくなってしまった気がする。
そして、世界を見渡したらウクライナやガザで紛争は続き、弾圧が継続する国も少なくない。
この映画「めくらやなぎと眠る女」は、映画の紹介にもあるように、村上春樹さんの短編「かえるくん、東京を救う」「バースデイ・ガール」「かいつぶり」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」「UFOが釧路に降りる」「めくらやなぎと、眠る女」をベースにした物語だ。
いきなり余談だけれども、映画は「めくらやなぎと眠る女」だが、小説は「めくらやなぎと、眠る女」だ。おそらく小説自体に書き換える機会もあったのだと思うが、めくらやなぎと一緒に眠るわけではないので、タイトルも変えられたのだ。
でも、映画は「めくらやなぎと眠る女」だ。
なぜだろうか。
そういうところが気になるのもこの作品の面白いところだ。
この映画が6つの短編をベースにしているのは村上さんの短編を読んだことがある人は、”あーこれこれ”なんて考えるのだと思うが、メインのストリームは、ねじまき鳥とカエルくんだ。
映画の製作者は、日常に潜む漠然とした不安やそこはかとない緊張に、もっと重いに違いない地震を不安として描いたカエルくんの物語をストリームに融合することによって、戦争や紛争を含めたもっと大きく強い不安や緊張も加えたかったのではないのか。
長編の「ねじまき鳥クロニクル」と、そして、カエルくんは「蜂蜜パイ」と合わせて「神の子供たちはみなおどる」として過去に舞台化されている。
蜷川幸雄さんは「海辺のカフカ」を舞台化して世界的に高い評価を得たが、目眩(めくるめ)く感じの演出は僕の心を捉えて離さなかったし、ずっと昔に三茶で観た舞台「エレファントヴァニッシュ」も同様だった。
村上春樹さんの作品はどちらかというと舞台と相性が良いように感じることが多いけれども、この映画「めくらやなぎと眠る女」も目眩く感じはとても良い感じだ。
村上春樹さんも映画としてはこれが一番好きかもみたいに言っていた。
“漠然とした不安、そこはかとない緊張、そして、リリース”なんて冒頭に書いたが、実は目眩く感じも村上春樹さんの作品のとても好きなところだ。
そして、何かを探して彷徨う感じも。
漠然としてだろうが、そこはかとなくであろうが、僕たちは不安や緊張と生きてきたのだ。
阪神淡路大震災とオウムのテロを起点に、他の甚大な自然災害や、弾圧、戦争や紛争も目の当たりにして変化した不安や緊張。
だが、これからも僕たちは生きて行かなくてはならないのだ。
救済なんていうと大袈裟だし、僕の恩師のようにさらっと救ってくれるという言い方の好きな人もいると思うが、僕はリリースされる感覚が個人としてはマッチしてると思うし好きだった。
だが、時代は変わった。
不安や緊張も同じものではない。
だが、やはりリリースされる感じはとても重要だ。
そして、リリース感に加える感じで、明らかな解決策ではないが、”そこはかとない”にしても希望が世界には必要なんじゃないかと思わせられる。
この「めくらやなぎと眠る女」は、そんな心象を描こうとしたのではないのか。
僕たちは全く希望のない世界で生きていくことなんで出来ないじゃないか。
そんなふうに感じる作品だった。