みんな違ってみんないい。
何の変哲もない多様性讃歌の今どきの一品。
昨今、猫も杓子も多様性多様性とことあるごとに祀り上げられたりするわけですが、それもそのはず。
種の多様化ってのは、イコール、その種がそのままではもはやこの世界において立ち行かなくなっていることの証左なわけなのですな。
今までの環境に適応できなくなったからこそ、様々に変化し、なんとかのたうち回って、結局環境(世界)に淘汰された後、適応できた変種だけが生き残る。
それって、至極自然の摂理であり、ともすればもともとすべての生物にそなわった本能なわけですなおそらく。
今の多様性讃歌ってそのへんを顕著に現してる感はありますな。マイノリティが世界になんとか適応しようとして暴走して、マジョリティを排除しようとしてる。
それもまあ、いたしかたないことで、この世界により適応するために、自分たちとは違うものは徹底的に排除する。それこそが生物の本能の真髄でもあるということなのでしょうけれども。
それってはたして、どうなんでしょうな。
同じカレーでも、家庭や国やコミュニティによって違う。調理法が違う。隠し味が違う。だけど隣の子が食べたって、違う国のひとが食べたって、みんながみんな美味しいって笑う。
それこそが本来の多様性リスペクトであり、きっとどこかに、そんな世界だって、きっとあると思うのですよね。
俺はLGBTQは苦手ですが。←ダメじゃねえか。
芽島みずきの透明感が往年の小松菜ちゃんを彷彿とさせて目の保養どころの騒ぎじゃないと書こうとして、小松菜ちゃんとか山田杏奈とか俺ってもしかしてただ単に黒髪ストレートのセーラー服JKに弱いだけなんじゃないかと思いました。←キモい上になにを今さら。