記録用
ラース・フォン・トリアー監督作品。
鬱三部作の最終作の全編。
トリアーマラソンも佳境に入り様々な変遷を見守りながら辿っていたがやはり作家性の強い監督ですと芯はブレない。
そして前作あたりからむしろ鬱から躁へ移行しているようにも感じられる。
黄金の心三部作の頃は真面目と言うか肩の力が張りすぎていて本人的にギャグのつもりに今考えるとやっているようなシーンであっても悲劇性が勝ってしまい鬱作品の側面が大きかった。
今作はトリアー後期作品の常連俳優であるシャルロット・ゲンズブールが主役のジョーを演じる。
ボロボロの状態で準主役であるセリグマン(ステラン・ステルスガルド)に保護される静かな立ち上がりだが
しかし今作は冒頭からラムシュタインのメタルが爆音で鬱々とした始まりを破壊しながら始まります。
もうこの段階で期待できる。
ジョーがここに至った顛末を回想とともに語りセリグマンが全く違った境遇であり理解の範疇を超えた話に自分が今まで読んだ書籍(釣りなど)に照らし合わせながらなんとか理解しようと試みるというストーリー。
かなりコメディ的にポップで描かれているので見やすさもある。
しかし話の構造上として性行為やセクシャルなセーンは過剰なほど多い。
しかしこの作品は後編もそうだが物語の一装置、演出として機能しているのでエロス的な感覚はなくむしろコメディや狂気のほうを引き立てる。
全編ラストにはジョーが不感症に陥るのだがここまで色情症として性に対し依存していたのが突然奪われてしまう絶望感は大きい。
人間誰しもなにかに依存しているのだからそれが人のよっては「神」であったり「金」であったり「スマホ」であったりと何かに寄り添いながら生きている。
不感症はジョーにとっての「神の沈黙」であったのではないだろうか。
あとで私はディレクターズカット版を鑑賞しましたがモザイクが無くなっている分映画として伝わりやすく理解しやすくテンポも良くなっているので完全にこちらをおすすめします。