JunichiOoya

密輸 1970のJunichiOoyaのレビュー・感想・評価

密輸 1970(2023年製作の映画)
2.0
いろんな意味で007を想いながら見ました。
もう一つは「水」というか「海水」のことも想ったのですが。

まずは海水から。
舞台になるのは海の幸を得て暮らしを立てる小さな漁村です。
でも最近漁の成果がさっぱりで。どうも遠くに仰ぎ見える工場から垂れ流される汚染された排水が影響しているような…
そこで(若干飛躍が過ぎますがまあ良いです)漁村の皆さんは、沿岸を彷徨く密輸ギャングたちと手を組むことにして日銭稼ぎに邁進します。
そこからはあれよあれよの連続大活劇へ。

どうしても、その「海水」に違和を感じました。地元漁師の暮らしの糧、鮑や栄螺が死んでしまって漁はさっぱりです。
そんな死の(死に瀕した)海がなんであんなに綺麗なんだろ? 毎日その死の海に潜ってる海女さんたちに健康被害はないのかしら?

で、連想したのが2本の映画です。一本は『ミューズは溺れない』。3年ほど前の弁セレ(田辺・弁慶映画祭)で話題を呼びましたが、その冒頭シーンで主人公は海に突き落とされて(少し違うんですが許せ)小さな漁港の海にぶくぶくと沈みます。その様が絵になってその絵がコンクールで賞を取ってみたいな話ですが、それは置いておきます。
この時の「海水」はほんとに潮の匂いがしました。ああ主人公は港で溺れかけてはる。結構大事件やけどでも笑ってしまうやつな、みたいなリアルが好きな映画でした。
もう一本は台湾映画『流麻溝十五号』。ここでは人が海に落ちるシーンが大切な意味を持って3回ほど描かれます。でも、私はそこにも「海水」を感じませんでした。

『密輸』も『流麻溝』もプールでの塩素臭満載の真水っぽさが溢れてたと思うんですが、私の思い過ごしかしら。

次に007のこと。
『密輸1970』では隻眼、隻腕、隻脚が一つのキーイメージとして登場します。それぞれ生来のことではなく、そこにはベトナム戦争、工場排水で汚染された海、仕事を奪われた労働者の過酷な仕事環境などがその因果の元として描かれるのですが、うーんなんともなあ。

生粋の娯楽映画として私は隻眼のギャング兄ちゃんに、ハロルド坂田やリチャード・キールを重ねようとしたのですが、ダメでしょうか。
残念ながら、映画ではこの兄ちゃんは物語半ばで命絶えてしまいます。でもほんとなら中尉だかなんだかの、なんの強さも感じられないへなちょこボスがどさくさに紛れて生き残るんじゃなくて、隻眼兄ちゃんにこそ不死身のジョーズになって(できれば続編まで作って出て)欲しかったと思うのです。

そうそう、工場排水の件もそうですが、ベトナム帰還兵の立ち位置というのも、韓国娯楽映画の中ではああいう感じなのでしょうか。
私にはかなり後味の良くない映画でした。
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