クリント・イーストウッド、94歳にして引退作と言われている本作。
かつて俳優業引退を宣言した『グラン・トリノ』が78歳ごろに作られた作品で、その後も衰え知らずの作品群を見ると「いやいやまだまだ」と思いつつも、流石に94歳、いよいよもうこの先彼の新作があと何本観れることか。
劇場公開されなかったことは残念だけれど、その分U-NEXTに感謝。
そして内容はといえば、抑制されたタイトな語り口で、演出・舞台も比較的ミニマムながら、これが恐ろしいほどにスリリングな物語となっており、主人公目線でことの真相が明らかになった序盤以降、終始ハラハラ、わしづかみにされるサスペンス展開で、ラストには"正義をもたらす"とは何か、引いては現行制度における司法制度のあるべき姿とは何か、観客に突きつけて終わる。
これが今年94歳の人が作った映画か、と心底舌を巻いた。
ぶっちゃけ今年観た映画のなかでもかなり上位に個人的には入るぐらい、見入られた一本だった。
【物語】
出産を控える妻と仲睦まじく暮らすジャスティンはある日、自宅に届いた陪審員招集の知らせに応じたところ、そのまま12人の陪審員のうち、”2番”に任命されることになる。
彼が陪審員として担当することになる事件は、恋人との関係のもつれの末に女性が崖の下で死体となった事件で、その殺人罪に問われた男の裁判だったが、検察官・弁護士が語る事件のあらましを聞くにつれ、ジャスティン自身が忘れかけていた”当事者”としての事件の真相を思い出し、被疑者を見極めるための裁判のはずが、自分自身に抱えている過去と向き合わざるをえなくなり…。
【感想】
そもそもアメリカで陪審員に選ばれる瞬間というのは、思い返してみるとあまり知らなかった。
①無作為に通知書が自宅に届く
②通知書に応じた人が傍聴席に行き、担当するであろう裁判のあらすじを聞く
③検察官と弁護士、それぞれが6名ずつ選定し計12人の陪審員を任命する
④任命された陪審員は本名などは明かさず、裁判中は1~12番の番号で呼ばれる
陪審員というと、『十二人の怒れる男』のように既に任命されたあとの裁判シーンはよく目にするけれど、それまでのこの4段階を映画で観たことはなかったように思う。
この映画は、劇中陪審員のうちの一人も言及するように確証バイアスがサスペンスフルな要素として描かれる。
裁判の流れだけを踏まえると、12人中10人は男を有罪と思う。
ただし、残り2人のうち主人公ジャスティンだけは真相を知ってしまっている。
そうなると真相を知らない他の陪審員たちは手元にある情報から判決を下さないといけない。
法のプロではない彼らからすれば「早めに判決を出して家に帰りたい」と思うのが多数だろう。
でも、真相を知っている分、ジャスティンは被疑者を断罪すること自体になんとかして歯止めをかけたい。
ただ、ジャスティンだけが知っているという”真相”もまた、1年ほど前の過去に関する自分の記憶に過ぎず、確証がある訳ではない。
これも劇中裁判官自ら言及されるけれど、陪審員制度そのものだって必ずしも正しい訳ではない。
検察官・弁護士・裁判官と違い、陪審員に選ばれる人たちは決して法のプロではない。
得られた情報のなかから彼らなりのロジックをもって判決を下さないといけないという点において、確証バイアスが大きく働く世界である。
この、バイアスが働く状況のなかで、絶えず主人公が「正しくありたいけど、正しくあろうとすることへのリスクもある」ことで正義感と保身の狭間で煩悶する姿は、サスペンスとしてそれだけで見ごたえがあった。
「真実が正義とは限らない。」
いや、果たしてそれは本当にそうなのか?
ジャスティンが轢いてしまったものが何であろうと、その場を立ち去ってしまった彼の罪はどうなるのか。
それが裁判所の上であろうとなかろうと、自分なりに一度罪を負った人間は結局どこにいようと正しさからは逃げてはならない。
ラストシーン。
セリフはないけれど「いや真実を明らかにしてこそ正義でしょう。」という苦くも力強いメッセージを感じた。
プライベートは女性関係など相変わらずのプレイボーイぶりを見せるイーストウッドだけれど、94歳にしてこのタイトなストーリーテリングで重たいパンチを浴びせるラスト。流石過ぎますって…。
主人公ジャスティンを演じるはニコラス・ホルト。
一見キレイな顔立ちの彼が、正義感のなかで揺れる男性としてめちゃくちゃ良い演技をされてた。
そしてフェイス検察官を演じるのはトニ・コレット。
地元の検事長に当選するべく活動をする検察官が、担当する事件の”引っかかり”に疑問を抱くようになり、行動を起こすようになるあの表情がインパクト大だった。
ラストシーン格好良かった…!
彼女と対決する弁護士エリックを演じるのがクリス・メッシーナ。
ベン・アフレック監督作の常連で、『AIR』のときには胡散臭いエージェント役だったけれど、本作では法廷とプライベートでのフェイスとの距離感をちゃんと使い分ける有能な弁護士役で、彼も良かった。
そして書ききれないけれど12人の陪審員たち。
J・K・シモンズの渋みはもちろんのこと、それ以外の役者たちも知らない俳優ばかりだったけれど、ちゃんと一人ひとりの思考、キャラクターがわかる。
日系アメリカ人のケイコを演じてたのはまさかテラハの福山智可子さんだったとは!!
みんな、それぞれの思いで裁判に取り組む個性がちゃんと出ていて良かった。
と言う訳で、過剰な演出や展開はないものの、観終わったときにはどっしりとした苦く重い余韻が残る一本だった。
いやー、これで引退作とはまだちょっと信じられないけれど、これが今年94歳(撮影開始時は93歳)にして撮れちゃうイーストウッド監督、本当恐るべしですわ…。
普通に傑作!