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陪審員2番のtakのレビュー・感想・評価

陪審員2番(2024年製作の映画)
4.5
大学4年、陪審員制度について考える刑事訴訟法ゼミに所属していた。映画「十二人の怒れる男」を題材にしているゼミ。当時の日本には、国民が司法参加する裁判員制度がまだなかった頃で、陪審制の長所と短所、導入の賛否について意見が交わされていたっけ。そんな過去があるので、法廷映画は好物の一つなのだ。とは言っても僕は決して真面目な学生ではなかった。「愛のコリーダ」で知られる阿部定事件の裁判記録を図書館でキャーキャー言いながら読んでるようなヤツ😓。そんなスチャラカ法学部生だった僕が、法廷映画で久々にアツくなった。クリント・イーストウッド監督の最新作「陪審員2番」である。

イーストウッド監督作では、しばしば正義を貫くことや人を裁くことの難しさが題材とされてきた。自身のプロダクションを設立した第1作「奴らを高く吊るせ」から始まって、西部劇でも人間ドラマ路線でも当事者のまっすぐな気持ちと相容れない社会が描かれる。「陪審員2番」はイーストウッドが貫いてきたテーマが色濃く反映されており、この路線では集大成とも言える奥深さを感じさせる。

陪審員が選出される場面で、裁判官が陪審制の意義を説く。
「陪審制には欠点もありますが、私は信じています。正義をもたらす最良の手段だと」
この台詞にビビッときた。従来のハリウッド映画で陪審制が描かれるとき、これぞ民主主義めいた肯定的な描写になることが多かったからだ。法廷シーンが出てくる社会派映画でも裁判の裏側にある不正を告発するテーマが多く、陪審制そのものに否定的な言葉が投げかけられる作品にはなかなかお目にかかれない。もし今、あのゼミに所属していたら「先生!これを観て議論したいです!」と申し出たかも。

そして「陪審員2番」ではそこから先に続く評議の場面で、陪審員それぞれの思想、生い立ち、偏見が結果に大きな影響を及ぼしていくことが露骨に描かれる。裁判で示された事件の証拠のみに従って有罪無罪を判断するとされているが、被告人の過去の行いから証拠に目を向けない陪審員たちが頑なな態度をとるのだ。そして票は真っ二つに割れる。「十二人の怒れる男」では、ヘンリー・フォンダの熱弁から有罪と断定できない理由が次々と明らかになる推理小説のような面白さがあって、有罪無罪の票が動いていくのがスリリングだった。しかし本作にはそれがない。裁判とは別に、観客にのみ示されるもう一つの事実。それが明らかになるのかどうが、ハラハラさせるもう一つ要素として加わることで、物語の先がますます曇ってくるのだ。

真実を明らかに、とよく言われるけれど、法廷で全てが明かされるとは限らない。また、そこで示されたことを裁判に関わる人々がどう受け止めるかによって、結論が大きく揺らぐことになる。「落下の解剖学」で夫殺しを疑われた妻に、「問題は君がどう思われるかだ」と弁護士が言うように、受け取る側の心証次第。夫の転落に直接関係がない家族の裏事情でヒロインが窮地に立たされる怖さが描かれた。「陪審員2番」では、法廷に出て来ないもう一つの事実が観客に示されることで、裁判の結果で出世が決まる検察官と平穏な日々が覆る人物の行末が、裁判の流れと二重三重に絡み合うから目が離せない。社会派の目線も、エンターテイメント視点も兼ね備えている。正義って何だ。考えさせられる。

余韻の残るカッコいいラストシーン。その先にどんな会話があったのか、何のために訪れたのか。それはディスプレイのこっち側にいる僕らの受け取り方次第。こんな力作が配信のみで、多くの人に観られないのはもったいない。
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