【能力/引き出すこと】
今回意図して山崎エマ監督の「小学校〜それは小さな社会〜」と同じ日に観た。
こちらの「型破りな教室」は、日本の小学校とは異なり、子供たちに平等な教育の機会が与えられてはいない状況で子供が勉強を続けるためには、子供の勉強を続けたいという意思を引き出すことがとても重要になるのではないかという気がした。
更に、クラスとして学業を続けるためには、助け合ったり、励まし合ったりすらことも大切で、実は、そんなところは日本の小学校にも共通するところだ。
学校とはやはり社会なのだ。
メキシコのこの学校では混乱の中、意思と個性的な能力をどうやって引き出し、いかに学業に結びつけられるのかが重要で、日本の小学校では、平等と競争を両立させながら、かりに手探りであっても、何らかの個性を見出し育てていくことが問われているようなか気がした。
体積の測り方、比重の計算の仕方、1から100までの和、哲学的論争。子守をしている子供が再び学校に戻れることを強く願いたくなる。
圧倒的に材料不足の中、子供たちの能力は圧巻だ。
暴力が優位な社会にあっても、前向きな個性を育てることは可能なのだと思わせられる。
この二つの作品を通して考えたのは、細かいところにあれこれ言うのはヤボじゃないかと言うことだ。
教育とはどんなものなのか、どうあるべきかというより、敢えて変化することを受け入れても良いのではないのか、葛藤があっても良いのではないのか、子供とはどんな存在なのか、子供の能力を僕たちは知っているのか、理解しているのか、その上でどうしたら良いのかということを考える機会を、僕たちに提供している気がする。