晴れない空の降らない雨

西湖畔(せいこはん)に生きるの晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

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■人間と自然
 『春江水暖』のグー・シャオガン新作。穏やかな作風だった前作と異なり、今作はなかなか人間の臭みが激しい。西湖を挟んで手前に、茶畑のある青々とした山があり、奥にビル群を映したショットが何度か登場する。このように、壮大なスケールの自然と、現代のビルの隙間であえぐ人間の対比が先鋭化されており、どちらの描写も尖りに尖っている。西湖は歴史ある景勝地であり、人工島の造営など人に手を加えられながら、自然と人間をともに見つめてきた。
 
 特に圧倒されるのが、主人公の母親がハマってしまうマルチ商法のセミナーの光景だ。まさに洗脳。カルト宗教一歩手前の自己啓発セミナーで、巧みにコンプレックスやトラウマをくすぐり、シュプレヒコールで一体感という名の狂乱を高ぶらせていく。この一連のシーンは前作になかった派手なスペクタクルであり、また半狂乱の母親の熱演も見どころである。息子と口論するシーンのセリフもリアルだ。「やっと自分らしい生き方を見つけた!」「私は楽しいの! これが詐欺なら喜んで騙されるわ!」「私は幸せよ。幸せをお金で買って何が悪いの」
 
 といって伝統産業である茶が称揚されるわけでもなく、共同住宅で暮らす女性労働者の貧しさ、その土地の封建的価値観、またコマーシャリズムの浸透(茶揉みのTikTok生配信によるライブコマース)などが映画前半でまざまざと示される。

■コンテクスト拾い
 結構難解な箇所もあるが、自分が拾えたコンテクストを書きなぐっておこう。
①まず、プロットは中国の故事に倣っている。中国には、ケチで強欲な母親が地獄に堕ち、これを息子の僧侶が救い出すという仏教説話がある。この僧侶と本作の主人公の名前が同じ「目蓮ムーリアン」であり、マルチから母を救い出そうとする物語からして、この故事を意識したことは明白だろう。

②気が滅入る話だが、母親(タイホア)の恋愛沙汰を密告した犯人は、あの友人ジンランだろう。「親友」を自称する彼女だが、仮にそうだとしても、職場を追放されるタイホアと共に出ていくなんてことを、友情のためだけにするだろうか。マルチ商法にタイホアを巻き込むためと考えるのが自然だろう(もっとも彼女に騙している自覚はなかったのだが)。

③はっきり言われることはないが、ついぞ登場することのない主人公の父親はゲイであろう。家を出たあと男と暮らしており、「一般の人とは違う」と言われ、ある場面でタイホアは彼を「変態」と罵っている。
 また「何山」という名前は蘇州にある山の名前でもあり、山頂に寺院がある。劇中で何山の最後の足跡として寺に行ったと語られている。

④そして一番観客を困惑させるのが、終盤の夢のような展開である。単純に考えれば、地底湖に沈むシーンは浄化を表すのであろうが、問題はその後にトラの幻影と対峙するシーンだ。日本人でも『山月記』読者ならピンと来たかもしれない。トラは仏教において欲望の象徴であり、タイホアは恐怖で悲鳴を上げたのではなく、自身の欲望と対決したのである。

■結論
 そうはいっても、宗教の力を借りた超現実的な展開による母子の救済を擁護することは難しい。ドキュメンタリーさながらにマルチ商法、欲望まみれの人々を活写した前半の迫真性を台無しにしている。
 問題は結局、監督がテーマを扱いきれていないことにある。一方には拝金主義的な現代社会があり、他方には自然崇拝、仏教、家族愛……といった広くとれば伝統的といえる価値観がある。
 言うまでもなく後者は前者に対抗できない。だのに無理を通すから道理が引っ込み、飛躍が生じる。