ワンコ

小学校~それは小さな社会~のワンコのレビュー・感想・評価

5.0
【個性/知ること、理解すること】

映画「型破りな教室」と同じ日に意図して観た。

ただ、案の定と云うか、比較対象というより、自分の小学校時代のことを思い出していた。

3年ほど前、小学校一年から三年生の時にクラス担任だった恩師が亡くなった。
コロナではなかったとのことだったが、突然だった。
この頃は結構悪ガキで、先生を困らせていたと思う。
家庭訪問では、授業中、黒板と反対を向いてることが多いですとか、廊下に〇回立たされましたとか言われて、後で親によく怒られていたが、極め付けは、三年生の時のある日の清掃時間の際の出来事だった。
2階の教室の窓拭きをする時に、窓枠の外側につかまってカニ歩きをする遊びを思いついて、まあ、それを実行してしまったのだ。
そして、先生に見つかったのだ。
落ちたら大怪我だったと、こっぴどく怒られて、先生のデカい手で背中をバシッと叩かれた。
そして、親が学校に呼び出された。
母は平謝りで、事故にならなくて良かったのだと言う先生に、こんなバカ息子はもっと叩いてやってくれと何度もお願いしていた。
背中には先生の赤く大きな手形が付いていた😁
家に帰っても両親二人とも口をきいてくれなかった。
祖母の耳にも入って、なんでそんなことをしたのか分かるように説明しろと詰められた。

「型破りな教室」の舞台は治安が著しく悪いアメリカ国境沿いにあるメキシコの街の小学校だ。

日本の首都の住宅街の小学校とは大違いだが、先生も生徒から学ぶものがあると感じている点では同じじゃないのかと思ったりする一方、あちらは混乱の中、個性と能力をどうやって引き出し、学業に結びつけるのかが重要で、こちらは没個性と言われる可能性もあるが、平等と競争を両立させながら、個性を育てていく方法を先生たちも親も模索し考えようとしているのだと思った。

更に、この東京の小学校の話は、コロナを除けば、良くも悪くも、ン十年前の僕が卒業した東北の山間(やまあい)の街の小学生と大して変わらない。

國學院大学の先生が、戦後の小学校教育は、戦前・戦時中の軍国主義に小学校教育が利用された反省に基づいて作られていると話していたことは理解できる気がする。

だからこそ、良くも悪くも、これまで大きく変わらずにやってこれたのだと思う。

六年生の縄跳び、一年生のシンバル。

小学生の頃は、やればいろんなことがどんどん出来るようになる。

先生が目配せしてくれて、叱咤激励すれば進度はもっと早い気もする。

日本の小学校の良いところは(基本的には)平等に勉強の機会が与えられているところだ。

先生の負担は大きいと思うが、本当にそう思う。

競争もある。

得意・不得意もある。

でも、励まし合ったり友情も育める。

小学校低学年の時、隣の席の女の子に言われたことを今でも思い出す。

「あのね、読書感想文はね、最初にあらすじ書いて、面白かったとか、面白くなかったとか書くのは下手ってことなんだよ〜。さっき、先生言ってたよね〜。ちゃんと聞いてた〜?もぉ〜っ!」

その子には作文を書く時の手ほどきをしてもらったこともある。そして、僕は中学の時に地域の作文コンクールで賞をもらった。

だから、僕は映画のレビューを書く時に、最初にあらすじは書かない(ように気をつけている)。

先生とその女の子の教えを守っているのだ。

その子はその後大学を卒業して田舎の小学校教師になった。
良い先生になっていると思う。

良いところは残して、改善すべきところがあれば変える。

そのためには大人が、社会が、小学校とはどんなところか、何を学ぶのか、まず初めによく理解する必要があるような気がする。

この二つの作品を通して考えたのは、細かいところにあれこれ言うのはヤボじゃないかと言うことだ。

僕はこの作品は楽しく観れた。
ワンコ

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