【下ろしてみる】
実は思いがけず考えさせられた作品だった。
多くの女性の共感を呼ぶような気がする。
この「時々、私は考える」のオリジナルタイトルは実はもうストレートで「Sometimes I think about dying」だ。
そう、時々、死ぬことを考えるのだ。
ただ、女性の共感を呼ぶだろうと思うのはこの点ではない。
この作品の舞台オレゴン州アストリアは、オレゴン州最大の都市ポートランドから100キロあまり離れたところに位置する港湾の街で、映画の紹介にもあるが映画「グーニーズ」の舞台だったことでも知られている。
ポートランドは、世界的な半導体企業インテルが拠点の一部を起き、カリフォルニア州のシリコンバレーに対してシリコンフォレストと呼ばれるアメリカの中でもリベラルで昨今の経済的な発展が著しいハイテク産業の盛んな街だ。
これに対して、距離は100キロ程度なのに、どこか発展に取り残された感じがするのがアストリアだ。
そして変わり映えのしない毎日の生活を送るフラン。
冒頭のヘビは、変わり映えのない生活しか送っていないということのメタファーだろう。
(以下ネタバレ)
何か不満や生活に逼迫しているわけはないが自分の心の中に漂う空虚な感じ。もしかしたらもっと単純に空疎とした方が良いかもしれないくらいだ。
ただ、これは実は多くの人の日常に潜む、共通するところじゃないのか。
繰り返される妄想の中で時々考えてしまう”吊るされる”イメージ。
そんな妄想がつい役にたってしまう友人宅での即興芝居。
しかし空虚・空疎な感じは実は重くのしかかることがある。
重かったら下ろせば良いのに話し相手がいないことで下ろせないこともあるのだ。
もし重さが死の匂いに繋がるのであれば、やっぱり話し相手がいる方が良い。
その方が実は人生は豊かになる気もする。
どこか抑圧されたというより、抑圧も期待をされることもないとついつい感じてしまう人は、観たらちょっと心が軽くなる作品じゃないかと思う。
フラン役のデイジー・リドリーの演技はとても良かった。