本作は戦場の描写が一種煌めきを感じるような性質で撮影されている。戦地の砲火は火祭りかロマンチックなショーのごとき光景になり、置き換えられていると言っても良いのかもしれない。音楽やスローモーションの置き換えも同様だ。
また、本作は2人のフォトジャーナリストが主役だったが、2人は表現方法にフィルムとデジタルの異なる素材を用いる。また、両者はモノクロとカラーという違いもある。記録行為が劇中において複数の方向性から置き換えられている。つまり、本作において記録は対象と唯一無二の対照性を持たず、一対多の関係性にあると言える。ラストシーンの写真においても、複数の可能性の外部が見出される。
これらには、一対一や単純な関係性では見出せない亀裂があると言える。かと言って私はこの亀裂に意味を見出したくはない。亀裂の面白みにだけ記述を留めたい。
フィルムをiPhoneでビューイングするアイロニカルさもある本作だからだ。