晴れない空の降らない雨

FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN COMPLETE 4K REMASTER版の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

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※このレビューは自分語りが多めです。

 何となく『FF7リバース』のプレイ動画を観たら結構面白そうだった(+ノスタルジーをくすぐられた)ので、発売当時無視していた『リメイク』から遊び倒してしまい、その興奮冷めやらぬ中で、本作も久しぶりに鑑賞してみた。

■見直してもなお蛇足
 そういう『FF7』熱が最大に高まっている状態にもかかわらず、本作は「やっぱダメだ」と思った(もっとも、この「ダメさ」の多くが結局『リバース』まで引き継がれているのだが)。
 ゲーム本編と本作をつなぐ小説も事前に読んだから一応話には付いていけたが、当時予備知識ゼロで観て「なんでツォン生きてんの(ルーファウスは百歩譲るとして)」とか、「結局あいつら(敵)誰だよ」とか思った自分は、まったくの無罪だった。
 当時何より納得行かず、今観てもしっくり来ていないのが、原作ラストの2年後に「クラウドはエアリスを救えなかった罪意識で鬱になり、ティファともギクシャクしています」という状況である。
 確かに、クラウドたちが幸せでない原因として「原作直後から発生した謎の流行病」という設定が用意されているのだが、何よりこれこそが問題孕みだと思う。この流行病(星痕症候群)の正体を突き止めると、案の定それは「ライフストリームでしぶとく悪さしているセフィロス」である。だとすると、「セフィロスがライフストリームで自我を保ったまま」である限り永久に戦いは終わらない、という設定を生み出してしまったように見える(小説を読むとクラウドが寿命を迎えればセフィロスも消えるっぽくもあるが)。 
 こういう後付け設定に付き合う気にならず、このAC以降の『FF7』派生作品(公式は「コンピレーション」などと格好つけた呼び方している)には一切触れてこなかった。
 『リメイク』発売当初スルーしたのは、その後のスクエニの体たらくを見てきて微塵も期待していなかったから。
 
■ダメになっていくスクエニを予告しているかのよう
 FFがどこまで良かったかは人によりけりだろうが、客観的には「ファルシのルシがコクーンをパージ云々」の『FF13』で大きくブランドを損なった、と言ってよいだろう。
 しかし、「一部の熱狂的ファンしか付いてこれない風呂敷の広がり」とか「抽象的なセリフでプレイヤーを煙に巻くニヤケ面のイケメン」とか「伏線張りと回収のために延々と発表され続ける続編やスピンオフ」といった“ダメなスクエニ”の諸要素はすでにこの『アドベントチルドレン』で始まっていたわけだ。
 まさに上に挙げた諸特徴を備えた『キングダムハーツ』シリーズの野村が本作のディレクター、というのも象徴的である(ちなみにリメイク3部作も野村が筆頭ディレクター)。
 
■本作について
 スクエニの悪口を言い出すと止まらないから、本作の感想を言っちまおう。
 本作の映像技術はこの頃がスクエニ全盛期と思われ、さすがの高水準。ただゲームのCGと映画のCGは根本的に求められるものが違うのに、ゲーム会社が映画と張り合ってどうするのか、と思わんでもないが。
 ゲームのCGは、カメラが動くことによって画面に映し出される瞬間に生成されている(リアルタイムレンダリング)。映画は画面に映されるものは事前に作られている(プリレンダリング)。その質は比較するまでもない。
 もちろんゲームでもムービーシーンであればプリレンダCGになるわけだが、ゲーム会社として力入れるところがムービーシーンなのか? とか……あれ、気がつけばまた悪口言ってる。
 技術的なことだけでなく、アクションシーンは確かに格好いい。クラウドのバイクと武器のギミックも中二病全開でたまらない。正直本作で褒められるの、ここしかない気がする。あとは好きなキャラが3Dで動いて声ついてるーとか、そういう喜びくらいだろう。
 
 面倒くさいこと言うのやめてファンムービーとして楽しもうとしても、今度は「仲間たちを押しのけてレノ&ルードがやたら画面に映ってる」のが気になる。そのせいでティファ以外のメンバーは前座のバハムート戦しか出番ない。
 悪役3人のうちリーダー格はクラウドにぶつけるとして、残り2人の相手するのがなぜ最初から最後までレノ&ルードなのか? 誰の趣味だか知らんが、押しつけないでほしい。 
 あと単純にお話はお粗末。何と言っても敵が甘すぎる。というか、それ以前の問題として……もういいや。