【ウォッチャー(ズ)とは何か】
この「ウォッチャーズ」のテーマは、”ウォッチャー(ズ)”とは何なのか考えることだ。
示唆的でとても好みの作品だった。
ダコタ・ファニング好きだし…。
この映画「ウォッチャーズ」の舞台となったアイルランドは、カトリックがもたらされる以前は、妖精や精霊などを信じるアニミズム色の強い宗教観の国だった。
僕は、古代アイルランド文字をデザインしたコーヒーカップを持っているけれども、儀式などのためではないかと思われるアルファベットとは異なる文字も使用されていたのだ。
しかし、カトリックがもたらされ、土着の宗教観は異端とされ次々に排斥されていく。
似たような事は実はフランスなどでもあって、その僅かな痕跡を木に似せたケーキ「ブッシュドノエル」に残していると言われている。キリスト教のクリスマスを祝うケーキだが、精霊の宿る丸太を模しているというのだ。
ただ、昨今の環境破壊を問題視する世界的な傾向は、多神のアニミズムの豊かさを見直すきっかけにもなり、民族の過去を振り返ることや、更にこの物語の発想にも繋がっているのではないのかと思う。
そして、もうひとつのウォッチャーは、自分自身の心の奥底に潜む不安や悲哀、利己的な気持ちなど暗い部分を表しているに違いない。
これはその都度、心の中で頭をもたげ、観察し、人の心を乱し、苛まれたり、暴力的になったりしながら、心に深く巣食い支配しようとするのだ。
この「ウォッチャーズ」は、得体の知れないウォッチャーを当初は外的なものとして描きながら、それを途中から人の内面の暗い部分と重ねることによって、自分自身の暗いところと向き合うよう仕立てあげた作品なのではないのか。
ミナがルーシーと向き合う場面も象徴的だ。
そして、少し逆説的に考えれば、自らの暗い部分に光を当てて、向き合い、それを理解しようとすることによって、人間とずっと伴にあるにもかかわらず破壊される一方の自然の大切さを考えるきっかけにもなるように示唆しているのかもしれない。
なぜなら、冒頭に用意された森林破壊に関するニュースの場面が実は伏線で、もうひとつ伝えたかった回収されるべきメッセージがあるに違いないからだ。