レインウォッチャー

不思議の国のシドニ/日本のシドニーのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

4.0
2024年最後の映画館ウォッチ案件となった今作は、まさかの「#イザベル・ユペールとデートなうに使っていいよ」映画であった。しかも舞台は日本。針孔Just 4 Meすぎて一足先に年も納まるね。

I・ユペールちゃん様といえば御歳71さいの大ベテラン、わたしからすれば随分とお姉さま(というか母親世代より+α)であらせられるわけだけれど、何なのだろうこのキュートさは。
華やかな一方でどこかいつも緊張してるようでもあるお顔立ちなど、ナイーヴで寂しがりで絶滅間近の鳥類みたいなイメージがある。独りで何をすれば良いかわからず手持ち無沙汰になったりしている様が良くお似合いになる。ユーモアとミステリアスの両方を連れて来れる人だ。

そんな彼女は、まさに今作の主人公シドニにうってつけ。作家である彼女は、著作のイベントのために初めて祖国を遠く離れ、日本を訪れる。
京都・奈良・香川(直島)…と巡るシドニ=ユペール。その間、連れの歩調に着いて行こうと小走りユペールとか、夜にピカピカ光るスニーカーを買っちゃうユペールとか、ホホホとはしゃいでウィンクユペールとか、愛でじゃくりスタンプラリーだ。ああ、俺もユペールちゃん様と大仏を見たかったぜ。

旅の風景はたっぷりと静かだ。バッハと坂本龍一が同等に空気を染め上げる中、ホテル、庭園に寺院、海岸、駅や電車の中に至るまで、人ごみも見当たらない。これは谷崎潤一郎の墓に刻まれた《空》と《寂》のポケットに落ち込んだような日本、明らかにエキゾチックマシ盛りな異国・日本の断片であり、わたしたちの知る観光地のゴチャつきなどは此処にはない。

これをもって「日本の表現が不自然」「歪んでいる」といった傾向の不満を前面に出した感想をちらほら見かけた。し、それも勿論理解はできるのだけれど、ここは「シドニの目にはそう映っていた」「そうでなければならなかった」とイマジネーションで寄り添ってみた方が、きっと観る方も映画も幸せになれると思う。
言葉のひとつひとつ、歩みの一歩一歩を見守るようなこの空間と時間には意味があるのだし、わたしたちの国が(まだ)このような表情を見せられる可能性を秘めている、と知ることは、まあ喜ばしいことでもある。

観光デート映像以外のあいだ、映画は多くが会話劇に割かれる。シドニを日本に招き、旅にもアテンドする編集者の溝口(伊原剛志)と徐々に距離を詰めていく心の触れ合いに、なぜか泊まる先々の宿に表れる亡き夫の幽霊(※1)。

溝口は「日本では幽霊はいつも周りにいる」と言い、亡夫は「いつも側にいたけれど、これまで君には見えなかった」と告げる。
溝口が言うのは、日本に限らず東洋的な、先祖との繋がりが常に意識されているベースの思想のことだろう。たとえばiPhoneからAndroidに機種変更すればOSが変わるように、個の西洋から全の東洋へ移動したことによって、シドニの目(感性)もリセットされたのだ。(※2)

かつてシドニが家族を亡くしたとき、夫が支えとなって彼女は創作に打ち込み、喪失感を整理することができた。しかし、その夫もまた亡くしてしまった。それ以降、創作は彼女にとって救いではなくなっていたようだ。

この旅は(この映画は)、そんなシドニが喪失を乗り越え…ようとする力が「既に自分の中には宿っていて、まだ残されていること」を知るためのものだった。そのためには、いったん感性の機種変更が必要だったのだろう。

シドニは、主に溝口との対話を通してそのことに気付いていく。同じではないが似たような体験をもつ溝口は、半歩先を行くくらいのペースでシドニの手を引き、ゆっくりとした再生の兆しへと導いていく。
劇的なイベントや変化はないし、2人のA Foreign Affairをあそこまでヤり切っちゃうのはなんだかんだフランス人よのう、という感じはあって、ポエティック日本とのギャップにちょっと笑っちゃいもするのだけれど、最後にはこちらの肩の力(あれはまさに肩の荷、かも)もすっと軽くなるような結びが待っている。丁寧に積み上げられた時間に、フェリーの海風、庭園の木々の葉を揺らす風はスクリーンを越えてしばしこちら側にも届き、首筋を涼やかに撫でるのだ。

シドニの旅路と悟りからは、YOASOBIの『UNDEAD』を思い出したりもした。(そんなバキバキなノリの映画ではないのだけれど。)
”不幸に甘んじて満足するなよ / 幸せになろうとしないなんて卑怯だ”

俺、ユペールちゃん様と日本デートできたら「YOASOBIとか知ってます?」つって一緒にピースピース!やるんだ…(怪文書遺書)

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※1:この夫の姿が、あえてのハメコミ合成CGみたいにチープな輪郭になっていておもしろい。ていうか、本当にハメコミCG。

※2:彼女は「日本はすべてが奇妙」「自分が誰なのかわからなくなる」と言って涙を流しつつ、「嬉しくて泣いている」と言う。