【世界】
※舞台挨拶
施設やドキュメンタリーを彩る登場人物のプライバシー保護の観点から配信やDVD化の予定はないのだそうだ。
上映館が少ないけれども、映画館だけで観ることが出来る作品として、出来るだけ多くの人に観て欲しい。
監督は「MONDAYS」の竹林亮さん、音楽も「MONDAYS」の大木嵩雄さんで二人が登壇された。
作品化は、齊藤工さんがたまたま訪れたこの施設での児童との会話で「今度来たら......」というやり取りの中で「今度」の儀礼的なところに対する違和感から、”じゃあもっと関わってみようか”みたいに考えたことがきっかけだったらしい。
”大きな家”というタイトルだけれども、ここに暮らすのは家族ではない。
漠然と家族然としているのかと思ったら、それは違って、それぞれ年齢や自分の境遇によって感じ方は様々だった。
この作品では、登場人物の”(当時の)今”と葛藤や考えを見せるために、彼らの背景や境遇を見せていないが、僕たちも実際の生活で、わざわざ目の前の人の家族云々の必要以上に踏み込んだ情報はなくても構わなかったりするし、養護施設だと別なのかと問われれば、そんなことはないよなと改めて考えた。
考え方は年齢ごとに異なるが、退所が近づいたり、大学進学による退所によって施設や共に生活する仲間たちに対する考え方が変化する様子は、家族とは一体何だろうかと考えさせられる。
年齢が若ければ、一緒に生活するスタッフや仲間は家族とは違うと発言することが多いように思ったが、それが成長するにしたがって変化するのは、考え方が柔軟になったのか、退所をきっかけに寂しさが募るからなのか、個人個人に様々異なった背景があるのだとも思った。
熱中するものが違ったり、将来設計が異なったり、様々な葛藤が伴ったり、そこにあるものは僕たちが普段接する人たちと同様だが、皆ありままで真剣に感じられたことは、このドキュメンタリー映画「大きな家」の秀逸なところだと思う。
ボランティアでネパールの児童養護施設を訪れた女の子が「ここの子は皆目を見て真剣に話すけど、日本はスマホいじって下ばかり見ている」って自分自身を見つめ直すところは印象的だった。
僕は東北の田舎の出身で、貧乏で大学は行けないけれどもめっぽう数学の出来る友人なんかいた。高専には行けて技術者として立派にやっているが、教育費の無償化で希望して勉強しさえすれば誰でも大学教育が受けられるような環境になれば良いと思う。申し訳ないが、何のために大学行って勉強したの?みないなのが存外に多いのは否定できない。
野球もダンスも短距離も演技もバイトも仕事もみんながんばれ!
映画の冒頭とラストに「SNSで施設や登場人物を特定したり誹謗中傷は止めて」と映されるが、こうしたことを好んでする連中の目的は自分の置かれた状況への腹いせなのだろうか、単なるバカなのかと暗澹たる気持ちになるが、この映画は”前向き”で”とても素敵な”映画です。