晴れない空の降らない雨

空室の女の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

空室の女(2024年製作の映画)
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 東京フィルメックスにて。母として、妻として、娘として、女として、四方八方から追い詰められていく中年女性の相貌を執拗にとらえた秀作。長編デビューでこれとは、最近の中国映画は凄まじい才能の集まりだ。
 
 なかでも本作が優れていると思った点は、極端に走らないことだ。それは脚本と演出の両方に当てはまる。まず、作中では事故・事件も起こるとはいえ、あくまで日常として起こりうる範囲にとどめられている。しかし、ここが凄いのだが、自分は本作の鑑賞中にどうしても「主人公が最後にプッツンして流血沙汰になるのか」とか、逆に「決定的な悲劇が降りかかるのか」という予感を抱え続けていた。そしてそれが単なる自分の独りよがりな思い込みでなかったことは、劇中最後に交わされる母娘の会話中の娘のセリフで明らかにされる。両親の喧嘩が絶えなかった頃、「いつか両親のどちらかが相手を殺し、自分も殺すんじゃないか」と怯えていたと、娘は告白する。
 映画は悲劇・惨劇に走って安易に話をまとめる誘惑に打ち克ちながら、かつ、いつそうなってもおかしくないという緊張感を最初から最後まで維持している。そのため観客が退屈することはないだろう。
 
 映画は出来事でなく人物=主人公の女性にフォーカスを当て続ける。主人公=人間に集中するのだ、という本作の決意は、スタンダードサイズという画面の選択にも表れている。そのうえフレーム内フレームを多用し、極力自然主義的な照明だけを用いることで、さながら自然主義文学のごときスタイルを完全なものにしている。さらには、状況を客観的ないし俯瞰的に眺めるようなロングショットも自らに禁じるという徹底ぶりだ。

 本作の忍耐強いリアリズムは、中国映画に時々見られる「超現実的な形象」に頼らない点にも窺える。つまり、最近観た作品の例でいえば、虎やら熊やらを登場させて主人公の心理的転回点をつくらないことだ。
 ただ2箇所、リアリズムを離れる瞬間がある。どちらのシーンも同じように、主人公がしばし完全な暗闇にとらわれる。全体の基調からの逸脱は微塵も感じさせない。この完全な暗闇は、本作の画面がもつ全体的な暗さ――それは本作の物語ともちろん並行している――の純粋な延長にあり、その暗闇=絶望の極点を、シーンの自然な流れの中で表しているからだ。