【R.M.F./共依存】
この映画「Kinds of Kindness」ほど、挑発的で、笑えて、知的エッセンスも散りばめられた作品には滅多にお目にかかることはないように思う。
こうした…
支配と従属、
愛憎と献身、
宗教と妄信は、
僕たちの世界を象徴的に表現しているのだ。
実はそれぞれのカテゴリーの項目は依存して存在しているように考えられないだろうか。
一見、対峙していそうに見えるものの依存しあう関係。
仮にも対立軸になくても依存が必要な関係。
共依存があちこちで存在する世界。
また、映画としては、ここまでデフォルメされ、しかも、皮肉も込められたストーリーを観ることはあまりないように思える。
ところで、RMFには、Redemption 、Manipulation 、Faithの意味があるとの説があるらしいけれども、確認は出来なかった🤪
ただ、各章をそれぞれ一言で表すと当てはまる言葉のような気がする一方、意味を考えた場合、贖い、操り、信仰だとすれば、全てが各章に当てはまる言葉のようにも思えはくはないだろうか。信仰とは何も宗教だけじゃ良い気もするし。ループ感だ。
そして、レビュータイトルに併記した”共依存”という言葉がやはりピッタリじゃないかと思う。それで、ネットで意味の詳細を確認しようと調べてたところ、Wikipediaにそれらしい簡単な説明を見つけた。
“共依存(或いは、共嗜癖(きょうしへき))とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。すなわち「人を世話・介護することへの愛情=依存」「愛情という名の支配=自己満足」である。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平穏を保とうとする”
やっぱり、僕たちの世界のことだ。
ヨルゴス・ランティモスにしろ、支えるいつもの俳優陣にしろ、”やったな!”って感じだろうか😁
(以下ネタバレ)
そして、RMFの死から始まって、サンドイッチを食べる(つまり生き返る)んで3つの物語は終わるけれども、どうも僕たちの世界は、こうしたことを繰り返してるのだとの示唆もあるような気がする。
また加筆するかもしれないけれど、なんか思い返しただけでいろいろ考えるきっかけをくれる作品だった。