【サメにパクパク】
※Netflix作品
この映画の面白いところは、主要な登場人物にバランスの取れた人間はほぼゼロで、まあ、次々にやられていって、バット・エンド、いや、ワースト・エンドが待っているところだ。
いま僕たちが直面している環境のリスクは、特定の原因ではなく、さまざまなエゴが大なり小なり積み重なって複雑化し、結果として増大してるのではないのかと思わせられる。
映画「バティモン5」は、パリ・オリンピックを前にした開発と移民など貧しい人々の立ち退き要請を通じた政治との軋轢がテーマになっていたが、この作品「セーヌ川の水面の下に」にもトライアスロンの会場であると云うところで似たような部分もある。
ただ、やはり人間の過度な開発とその悪影響が第一のテーマだ。
そして、バカな政治や、そのメンツも同じだ。
(以下ネタバレ)
主人公のジョも序盤の海洋調査では調査員のエゴを抑えきれない人物のように見えた。
環境保護家も過剰な思考形態で悲劇的な結末を迎える。
終盤、所詮トライアスリートは助かって大和団だよな…なんて考えていたが、ところがどっこい、パクパクだ。サメにね。
パリ市長もだ。
そして、序盤の伏線を回収するようにドッカーンで、ナチスでさえ破壊しなかったのに、パリ始まって以来の大惨劇が訪れる。
「バティモン5」も何らかのソリューションはあるとの示唆は残しながら、暗澹たる未来も予感させる。
もうハッピーエンドを示したところで、なんの示唆にもならない世の中になってしまったのだろうか。
バットエンドを示すことでしか、世界のリスクを示すことが出来ないのだろうか。
この「セーヌ川の水面の下に」はそんな映画だ。