信じれるもの何もないし、信じれる人が誰もいない場合の、何も向かっていける先がない人の映画だった。
今そういう状況にいる人たちがたくさんいると思う。みんな絶望するしかないことにだんだん気づいてきていると思う。
だから英語を勉強したいって自分も、他の人も思うんだなー。一つの向かう先にもなるし、それってすごいことだとおもう。そして行動範囲を広げることで不自由がなくなる気がしているのかも。英語は今若者の希望かもしれない!
でも、そうだとしても自力で生きていくには生活していかなきゃいけなくて、生活をするには妥協をしなきゃいけない部分がたくさんあって、カナはそれを断つ理由ができたら、すぐにちゃんと離れていくところが偉いなぁとおもった。自分に正直でいてすごい!
カウンセラーにご飯行きませんか?って言ったのは信じれそうな予感がしたからだと思う。カウンセリングでミチミチの紐を解いていくことで自分のいる場所がどこなのか少しわかるのかも。そしてその場所から抜け出そうとなんとなく目指す場所が見えて、それに向かうことができるのかも
ヒゲになんでお前ものづくりなんかできんの?って言ってたのが、本当にそうだなーと思った。ヒゲうぜー!
自分を見つめる前に自分の辿ってきた道とは全く別物の想像でつくった『創作』してる人は見ていて悲しすぎる
それって浸ってるだけであるしー
ヒゲは多分、自分は自立していて大丈夫だと確信してるけど、お金持ちで家族が仲良しだとやっぱりパスできてしまうハードルがたくさんあるのかも(T_T)
ロン毛の日常が自分の為にある毎日ではなく、カナのためにある毎日に見えた。一見カナを全力で支えてあげてるように見えるけど、その人を軸にして自分を支えてる感じがした。でもカナを自分の向かう先にするのは間違っている。
好きとか一緒にいて楽しいとか何かしてあげたいっていうのはわかるけど、向かう先をお互いにするのはどうなんでしょうか?なんか違うと思う