長崎に落とした原爆のプルトニウムを精製し、その後も生産し続けていた核施設近郊の町リッチランドの人々を多方面から取材したドキュメンタリー。高校や町のシンボルマークがキノコ雲であり、8割近くを逆上しながら観ていたが、救いもあった。
マンハッタン計画によって、ワシントン州の農地と先住民の土地が収用され、急遽核施設とその従事者のための町が作られた。原子炉は9基造られ、工場は80年代に稼働を停止したが、現在はアメリカで最も汚染されている土地と言われている。
核施設と知らずに働いていた人、プルトニウムだと知らず無防備に削っていた人、未だ地のものは口にできない人、数多くの乳児の墓石、キノコ雲のシンボルマークを変えようとしたが断念した人、原爆で戦争を終わらせたと誇りに思っている人、土地の浄化をしている人…さまざまな人々へ取材している。
救いだなと思ったのは、キノコ雲が校章の高校生たちの談話。真珠湾攻撃と比較し原爆を恥じ、校章は大量殺戮を肯定しているから変えるべきだと語っていた。
パンドラの箱を開けたアメリカ。
知恵の実だと思って口にしたのは核だった。核によって楽園から追放された人類。この町の悲劇を詩にして朗読、また原罪を嘆く合唱を聴く。
広島の被爆者三世でアメリカ在住の日本人アーティストが、被爆した祖母の服を使ってファットマン(長崎に投下した原爆の名前)の原寸大の作品(ジャケット写真の真ん中)をリッチランドで風に吹き流してドキュメンタリーは終わる。
リッチランドの人々は、アメリカの中で、核の恐ろしさを最も身近に感じている人々なのかもしれない。