原作既読の上鑑賞。
平野啓一郎氏の文体は哲学的で人間の内省面を掘り下げていく作品が多いが、特に本作はVFやAIなど映像化になったらどう表現するのか興味があり見ることとした。
また池松壮亮が石井監督に原作を持ち込んだというエピソードもあり。
ほぼ3年前の読了だった為所々曖昧ではあったが、概ね原作通りだったようである。
映画化の本作は丁寧にそれぞれの心情を分かり易く描かれていた。
母親が豪雨で増水した川べりで見かけたが
自動車のライトに目が眩み、母親は画面から消えてしまう。
初恋の人の映像的記憶も突然消えたり。
つまりそもそも人の存在は不確かなあわゆいものだと。
だから本作では、死んだはずの人がいともたやすく画面に姿を現す、VFとして再生させるという時代の到来の予知的なものも含まれているのであろう。
しかしこの事によって主人公サクヤのむしろ本心をあらわにする為の装置になってしまうのが何とも皮肉めいている。
特に印象的なシーンサクヤが三吉彩花に愛を告白する場面は痛切である。
私はあなたを愛してます…
そんなストレートな言葉さえも本心なのかもわからない。
これはSFでも何でもない。
工場にロボットが導入で人が消え、人が人の働く機会を奪われていく。
そんな世の中で人間の本心の不確かさを浮き彫りにしているのが本作の大きなテーマの一つではなかろうか。