1956年、ソ連支配に反対する民衆蜂起“ハンガリー動乱“が起こるまでの、メーサーロシュ・マールタ監督の個人的記憶が、アーカイブ・フィルムを織り交ぜながら描かれた「日記」シリーズの第一作。
1931年ハンガリーで生まれた監督は、彫刻家の父がスターリン以前の共産党を支持したため追放され、家族でキルギス(旧ソ連構成国のひとつ)で過ごすが、彼女が6歳の時に父は逮捕され、母も出産で亡くなってしまう。
この父と母との幸せで美しい思い出の日々は、本作で何度も繰り返し描かれる。
孤児となった本作主人公のユリ(監督の分身)は、ソ連のハンガリー共産主義者のもとで養育され、戦後1947年に、共産党の重要ポストについている叔母マグダの助けで、故郷ハンガリーに帰って来る。
しかしマグダは、党幹部として富を占有して贅沢品に囲まれて暮らし、ユリが大切にしている両親との思い出を忘れさせようとする。
ユリはそんなマグダに反抗し、学校をサボっては映画館に入り浸る。
ここで映画監督としての下地ができあがったのだろう。
昔、映画を観ながら母に言われた「映画だから彼らは死なない。別の作品で他の誰かを演じ続けるの」という言葉は、監督の映画作りの大切な支えとなったに違いない。
そして、マグダの長年の同士だが、現政権に異論を唱えるヤーノシュと出会ったユリは、彼に亡き父の面影を見て、慕うようになる。
このカーダール・ヤーノシュという人物は、ハンガリーの政治家で、後に首相にもなる有名な人らしい。
演じているのは監督の当時のパートナーであったヤン・ノヴィツキ。監督の作品にはお馴染みの俳優さんで、本作ではユリの父親とヤーノシュを演じている。
スターリン主義の恐怖政治を布いていた共産党による一党独裁を批判したヤーノシュは、ユリの目の前で投獄されてしまう。
それはかつての父のようにショッキングな出来事だったが、スターリンの死後釈放されたそうだ。
1953年、獄中のヤーノシュと面会するユリの姿で本作は幕を閉じる。
1970年代の、偽りの民主主義や自由の中で、職場や家庭で女性が直面する様々な問題に光を当ててきたメーサーロシュ・マールタ監督。
ドイツとソ連に翻弄された時代を持つハンガリーという国を、強い意志と冷静な観察眼を持って見つめる監督の原点を、少しだけでも知ることができた、見ごたえのある貴重な作品だった。