「ファスビンダー傑作選2024」で観させていただきました。んでもってこれは身も蓋もなさすぎて面白かったです!
幸運にもロト(宝くじ)で大金を得た貧しいゲイの青年、フランツ・ビーバーコップは、本来なら参加できるはずのない上流階級のゲイ・グループに入れてもらい、そこでオイゲンというハンサムな恋人を得る。しかしそれは、生まれも育ちも違うふたりの埋めがたい”格差”をたたえた恋愛で……。
★★★作中のセリフで、「ああこういう風になるんだろうな」とおおよその展開を予告しつつ進んでいくタイプの映画だったので、ストーリーもラスト以外にはわりと触れつつ以下感想をば。
「愛はお金で買えない」けど「お金は愛で買えちゃう」って感じで、身分違いの恋がよじれていく破滅型シンデレラ・ストーリー🔔(そんな言葉無いか?)。
これってお話としては、たとえば資産家の娘が持参金目当ての男に捕まり、金と体だけ吸われて捨てられるみたいな、超古典的な悲劇とそんなに変わりはないと思う。ただしそれがヘテロ=異性愛ではなく、ゲイ=同性愛社会のなかで展開されてるところに一種のアクチュアリティというか躍動感が生じてる感じはしました。
(もちろんそこはセンシティブなところなので作品によって見方が変わると思うんですけど、ファスビンダー御大は開き直って愛と欲望のベタな劇=メロドラマとして作ってる感じが強いので自分もその感触に乗って楽しんだ感じ😄)
肉欲や金銭欲、それに外面(ソトヅラ。パートナーとしての見栄えよな)みたいなものも当然のごとく(!)介在させた形で開けっぴろげに描かれていく恋愛ドラマが良いです。トイレで性交相手を漁ったり安いゲイバーに行くようなフランツを、上の階級の男たちは軽蔑するんだけどベッドは共にする、なぜなら性の相手としては野卑な魅力があるから。それに大金も持ってるし。でも社会生活を営むパートナーとしては……、みたいな感じで、正直ぜんぜんロマンチックじゃな~い😂……のが自分はわりと好き😆
ともあれ、打算づくでフランツと付き合ったらしいオイゲンが、でも内心では愛に揺れ動いてるのが良いところ。お互いになんとか二人の生活を成り立たせようとするんだけど、貧乏育ちのフランツと会社社長の息子であるオイゲンとでは価値観も生活習慣もなかなか合わない。そうして結局「上品」で「望ましい」身振りを身につけているオイゲンには、フランツ側に合わせようという気は毛頭起こらないというね……。
当時言われていたという「同性愛は階級を超える」っていう標語に対する、当事者からの手厳しい反論映画でもあったんじゃない? みたいな感想を書かれている方がいて、それもあったのかもと思いました。実際には生まれと金銭に基づく階級格差というのはどんなところにも存在し、それには無限に「下」があって搾取・見下し・権力関係が無くなることなんかないっていう。
この映画の場合はまず外側に「ふつう」の異性愛社会があって、その「下」にある男性同性愛コミュニティがメインで描かれていきます(引っ越しの際のオイゲンの憤り)。でもその中が平等かっつうと上流階級のオイゲンたちと中流下流のフランツたちとでは越えがたい壁があって、結果的には搾取的なドラマが展開される。
もうひとつ印象的なエピソードに、フランツとオイゲンが新婚旅行がてらアフリカのモロッコに行くシーンがあります。そこでふたりは黒人の青年(『不安は魂を食いつくす』のヒーロー役で、ファスビンダーの恋人だった人)を性的に買おうとするのですが、これって日本人や欧米人がいわゆる「後進国」に買春旅行に行ってたみたいな話とまったく一緒だと思う。フランツもより「下」の者がいる場所に行けば今度は搾取する側にまわるっていうのをチラッと垣間見させるエピソードな気がしました。
でもその交渉の間中ずっと股間のデカさの話しかしてないフランツには笑っちゃう。
なんにせよ、「身分違いの恋」というベタなストーリーに対して、(マルクスじゃないけど)金の有る無し、物の有る無しがその人の思想内面まで決定してしまうしその違いは超えがたい……っていうアプローチを仕掛けてるこの映画のきっつい視点にはけっこう痺れるところがありました……。
2024年再上映のファスビンダー3作から1本選ぶなら自分はこれかなー。
●主役のフランツを他ならぬファスビンダー自身が演じていますが、何というか「考えることが非常に苦手」な表情の演技が絶妙でした。あとはオイゲンら「上品」な人たちの目からは「下品」で「はしたなく」見える行為をしちゃったときの、自信を無くしてしゅーんとしてるときの仕草がかわいそ過ぎるけど可愛らしい。
●画面内に二人以上の人物を並べる際に、その配置や奥行き関係によって人物同士の感情の落差を際出させるような演出がバチバチに決まってるショットが多くてすごく良かったです。たとえば二人の男を画面の中心に置き、彼らに蔑ろにされている別の人を画面手前に背中向きに立たせて顔は見せない、とか。このへん『ペトラ・フォン・カント』と一緒で、舞台劇とかに通じる演出だったりするのかなーと思ったり。