ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー傑作選2024にて。『リリー・マルレーン』でこの監督が最高に抜群だと再確認したので、流石にもう一本観ときたいと思って早稲田松竹の企画が終わる前に駆け込んだ。多分終始白黒の『エフィ・ブリースト』は寝ちゃうからファスビンダー監督自身が主演を務める衝撃作のほうを選択。
せっかく主役なのに頭の弱くてうだつの上がらないゲイの青年を演じるファスビンダーやっぱり好き。この映画の主人公は、本来居るはずの労働者階級のホモソーシャルと、幸か不幸か関わることとなったブルジョワのホモソーシャルを行ったり来たりする。芸人をやめて無一文になって姉の家に居候していた主人公は無謀にはした金をつっこんだ宝くじで一攫千金。そうしてブルジョワの印刷工場のハンサム御曹司と交際し、愛し合って、投資して、散財して、幸福を掴んだのも束の間、いつの間にか利用され、搾取され、最終的には...。という話。
一人の労働者階級の同性愛者の悲劇的結末が全然"悲劇"として描かれていない。むしろ"戯画"って感じ。結局その描き方に喰らわされるし、その描き方が映画的だと思う。極めつけは奈落の底に落ちた男が地下鉄で野垂れ死んでどこからかやって来た少年達に身ぐるみを剥がされるエンディング。服のポケットに直で入れた貨幣や華美な腕時計を根こそぎ奪われる死体を捉えたロングショットが、せっかく労働者の身分から一転して富も愛も手に入れたのに、結局それってかりそめの幸福でしかなくて、この映画の主人公は貧乏人でも金持ちでもなく、宝くじによってアイデンティティを喪失し、宝くじに生かされた"宝くじ男"でしかなかったのだということに気づかされる。ここのロングショット。全てが無に帰している真っ最中の主人公にカメラが近寄ればたぶん悲劇なんだけど、そうじゃなくてロングショットなのが、あくまでこの映画が滑稽な男の一部始終だということをめっちゃ突きつけてくる。
最近はホモソーシャル映画といえば"ブロマンス"みたいになってて、とりあえず開放的に固い絆を描いてマイノリティ救った気になってる作品がほとんどなのだけれど、むしろこの映画の主人公のように全然波長の合わない相手を愛して、なんとかしがみついて、しかしそれ故に狂っていく話の方が人間を冷徹に捉えていると思うし、結果としてそいつがマイノリティに属しているという事実が寂しさや虚しさを画面越しに伝えてくる。主人公は労働者階級のマイノリティという二重苦。どちらかがなければ宝くじを引かなかったかもしれない。だけど主人公は自身の身の上に対して苦しむ素振りを見せず、苦しんだとしてもすんなり立ち直る。悲惨な物語の主人公にしては行儀が悪い。迷惑をかける。教養もない。その上で、自分が不幸であることも馬鹿であることも自覚して平気で生きてる。じゃあなぜ改善しないのか。それは今までそういう風に生きてきたし、これからもそういう風に生きるしかないから。こういうふうに、生き方が自ずと限定されてしまうことこそがマイノリティの苦しみなのかもしれない。元々袋小路だった主人公が宝くじによって死を早めただけなのかもしれない。そういう意味では幸福だったのかもしれないし。そうやってこの映画は劇場を出たあともマイノリティについてじっくり向き合わせる。手塚治虫とか藤子・F・不二雄の漫画なんかもそうだけど、やっぱり"悲劇"よりも"戯画"の方がよっぽど何か与えられた気がする。なぜか。そこに風刺の精神が生きているから。