【ありきたりじゃない言葉とは何か】
※公開記念舞台挨拶
この映画「ありきたりの言葉じゃなくて」は、小説やテレビ・映画などの題材としては”もしかしたら使い古された”ようなエピソードをもとに、構成を工夫することによって僕たちに何か考えさせようとする作品にしたかったんじゃないかと思う。
そして、それは、ありきたりなようで実はとても重要なことのように思える。
最近はずいぶん減った気もするが、映画のレビューで映画作品をディスるのに具体例は示さずに”脚本がダメ”ってのが今でも結構多くある。
とにかく批判重視で、そのために知ったかぶりをしたいのか、本当は映画の制作サイドで働きたいのにそんな機会を得られない逆恨みや苛立ちなのか理由は不明だが、批判をするのであれば具体性が必要なのはどんな世界でも当たり前だろう。
この実話をベースにした映画「ありきたりの言葉じゃなくて」は、偶然なのか意図してなのかは分からないけれども、「現実」と「物語」が入れ子構造になっているのと、これらの対比を通じて「何か」を考えることを促しているような興味深い作品だ。
(以下ネタバレ)
では、何が入れ子構造なのかというと、「”現実(=実話をベースにした物語)” × “〇〇”」と「”物語(映画のエピソード=”りえ(鈴本)のシナリオ” × “拓也の批評”)”」ということだ。
そして、僕の勝手な解釈だけれども、上記の〇〇に入るのは何かということもポイントになってくる気がする。
ワークショップでのりえのシナリオに拓也が日記のようだといった批判をする。有り体に言えば、つまらないということだ。
レビューの序盤で「もしかしたら使い古されたような」と書いたのはこれと重ねるためだ。
しかし、りえの自分自身の身につまされるリアルな状況を表現したシナリオは、日記のようなものなのだろうか。
面白味もない、ありきたいのものなのだろうか。
拓也が、自分には人に語ることが出来るような経験は何一つないと、りえに打ち明ける場面。
この団地屋上での会話は様々なことを語りかけている。
SNSにはびこる批判せんがための誹謗中傷。
映画のレビューで何ら具体性のない中傷的な批判。
もしかしたら、自分に語ることがない腹いせなのかもしれない。
しかし、これによって傷つく人は多くいるはずだ。
思料も想像力もない言葉。
〇〇に入るのは僕たちの言葉だ。
こんなシナリオの世界じゃなくても、現実の社会で考えて意味のある言葉を発していますか。
”ありきたりではない”とは、別に見聞きしたこともないような言葉を意味するのではないはずだ。
想像力を使って思料した言葉を使っていますかということじゃないのか。
もしかしたら、他人を批判する前に、自ら何かしっかり考えて行動・発言しろという人もいるかもしれない。
よく構成された佳作だと思う。
ちなみに、リアル小西桜子ちゃんを見たさに出かけた舞台挨拶の上映だったけれども作品としても考えさせられるものだった。
舞台挨拶は小西桜子ちゃんがとにかくかわいかった(←これも加点対象😁、すみませんね、ルッキズムで)。