【現代に向けたメッセージ①】
※日本劇場初公開 ベット・ゴードン三部作①
三部作を見終わって、一旦咀嚼して考える時間が必要だった。
この三部作は制作された時代の時代背景をしっかり思い返さないとダメなのだと思った。
「エンプティ・スーツケース」とは何を象徴しているのだろうか。
60年代のアメリカの女性解放運動からほぼ10年。
70年代は映画産業復権の時代と言われるが、一方でアメリカはウォーターゲート事件などの政治不信と、2度のオイルショック、不景気と長引くインフレで暗い時代とも言われている。
そんな中、父権主義的な風潮は変わらず、フェミニズムの勢いは後退したように見えたのではないか。
シカゴとニューヨークを恋人のために行き来する女性には、どこか不公平感があるように思えないか。
ドキュメンタリー映画「美と殺戮のすべて」の写真家ナン・ゴールディングが出演していることと関係があるのか、写真が多く使われている。
読み上げられるセリフはどこか詩を聞かされているような感じだ。
そして映画の中に秘められた憤りは、女性解放運動はどこに行ってしまったのか、後戻りしてしまったのか、また、空っぽな存在になるのか、そんなことを表しているような気もする。
歴史は繰り返すと云うが、女性や性的マイノリティのことだけに止まらず、現代社会でも特にアメリカでは似たようなことを危惧している人は多いように思うし、日本でももしかしたら同様かもしれないなんて考えたりする。