まぬままおま

キノ・ライカ 小さな町の映画館のまぬままおまのレビュー・感想・評価

4.2
私もアキ・カウリスマキみたいに気難しい人、ではなく街に明かりを灯せる人になりたいものだ。

文化人が住んでいるとは言えど、鋳物工場が象徴的なカルッキラに自分たちの手で映画館をつくってしまうのがかっこいいし、住民が心を寄せる一つの場所になっているのは本当に素晴らしいことだと思う。

それも本作が、アキ・カウリスマキを中心にしたドキュメンタリーではなく、カルッキラという街、そこに生きる住民、そして映画館「キノ・ライカ」に焦点を当てた作品だから伝わることだ。

面白いのは本作がドキュメンタリーでありつつ、フィクションを多分に含んでいることだ。絵画的な構図はただカメラを置けば撮れるものではないし、人物や物の位置も厳密に規定されているだろうことが窺える。では彼らの語りはどうなのかと言えば、それもカメラが存在することを前提にしたものであり、何度もリハーサルを重ねたものであろう(☆1)。しかしそのただの日常会話でもない、劇映画のセリフでもない語りが、彼ら自身や生き様を明らかにしているわけで、それは監督が言っているように真実といっていいはずだ(☆2)。

もう一つ面白いのは、マウステテュトットのインタビューシーンだ。彼らはポップ・デュオのアーティストであり、『枯れ葉』にも曲が使用されたり、演奏シーンで登場したりもしているのだが、カウリスマキとはじめて会ったときの感想を聞かれた際の受け答えが最高すぎる。子どもの頃からカウリスマキのファンらしいのに、その感想はないだろうとは思いつつ、だからカウリスマキの目に留まったのだと納得した。目も体勢も気怠げな態度も全てがいい。

当面の目標はキノ・ライカに行くことだと心に誓ったし、映画館を自分たちでつくってしまうその心意気は常に持ち続けたい。いや、やる。

☆1 本作の作劇というかフィクション性については今日の12時15分の回であったヴェリコ・ヴィダク監督のQ&Aから知った。なお、それは街の人が自然体でカメラの前にいることに対する回答であって、特定のシーンを指しての発言ではない。

☆2 「真実」については、パンフレットの「ヴェリコ・ヴィダク監督インタビュー」(pp.12-20)より。

蛇足
この真実の有り様はギョーム・ブラッグの映画にも言える気がした。特にそう感じたのは、本作におけるカルッキラ在中の女性二人(エリナ・ソダーストロムとタイカ=トゥーリア・ユリハルシラ)がカウリスマキやキノ・ライカについて話すシーンでである。彼らは自然体で話しているのだが、カメラの位置といい話す内容といいフィクションが多分に含まれている。そしてそのフィクションが破れている。つまり、下手なのだ。もちろんそれは彼女たちのせいではないのだが、だからこそ単なるドキュメンタリーではないことがより分かった。そしてこの作劇を上手くやっているのがギョーム・ブラックなんだと思う。