どうすればよかったか?
誰がその問いに答えられるというのだろう。
問いの形をしながらも、答えを拒否しているようなその問いに。
医療や福祉につなげるべきだった。そう答えることは簡単だ。でも、現代では常識と考えられているその答えは、本当の本当に正しいの?
薬によって彼女を抑えるのか、両親が体当たりで彼女を抑えるのか。「抑える」ための手段ってことで言えば、どっちもおんなじなんじゃないか。この両親は彼女から逃げなかったし、彼女だってこの両親から逃げようとは思わなかった。この家族は、一緒に生きることを選んだ。それを「間違ってるなんて言えない」と許したい気持ちと、「いや、断じて間違ってる!」と有無を言わさず断言したい気持ちとが共存している。
このままではいけないと思いつつ、ただ観察者/記録者の立場に甘んじる以外の方法がないまま、四半世紀以上を過ごした監督の苦しみに思いを馳せる。統合失調症を患ったお姉さんの苦しみを想像するのは難しい。お姉さんを隠し、守り、共に生きた両親の苦しみも想像しようがない。ただ、この両親には「これが正しい」と言う強い思い(それが思い込みであっても、迷いを殺しながら自分に言い聞かせていたことであっても)があったように思う。信念とも言えるような思いがあって苦しみを耐えることと、疑いと迷いの中で苦しみに耐えることとでは、後者の苦しみの方が底なしなんじゃないかと思った。そんなことが、ジャケになっている写真からも感じられるように思う。