このレビューはネタバレを含みます
ドキュメンタリー監督の藤野知明が、統合失調症の症状が現れた姉と、彼女を精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたって自ら記録したドキュメンタリー。
苦労して医学部に入学した後に統合失調症を発症した8歳年上の姉。優秀だった両親は優秀だった姉を病気だとは認めず、家に閉じ込める道を選んだ。社会人となり家を出た監督が、そんな家族にカメラを向け続けた20年間をまとめている。
「どうすればよかったか?」というタイトルはいかにもジレンマを表しているようではあるが、本作の根底にあるのはジレンマではない。監督の中では答えが出ている。もっと早く病院に連れて行けばよかった。医師免許を取れというプレッシャーを姉に与え続けるべきではなかった。最後に年老いた父親に投げかける言葉は問いかけを超えて、断罪に聞こえた。
監督本人のナレーションと動画を繋いだだけといったシンプルな構成で、字幕もついていないので聞き取りづらいシーンも多々ある。それでも、徐々に姉の状態が悪くなっていくことは伝わってくるし、監督が「家族でありながら外部の者」として、いわば敢えて空気を読まずに色々な言葉や行動をぶっこんでいく様子などもわかるようになっている。
病院に連れて行くべきではないのか?閉じ込めるべきではなないのでは?という息子の呼びかけに対して、夫のせいにする母親。夫のせいとは言いつつも、自分も娘が正常だと信じていたいという本心が漏れてしまっている歪み。そして、父親は何かと引き換えにしつこく娘に医師免許取得を強要していたんだということが色々な痕跡からうっすらとわかってくる。
教養も社会的地位もある人たちが、自分たちのプライドのために姉の現実を受け入れられていないという愚かすぎる現実が、ただただスクリーンに投影されているという地獄。姉とは8歳も年が離れていて、おそらく姉ほどは成績も良くなかった(親からそこまで期待されていなかった)監督。姉の発症以来ずっと恐怖を感じていて、社会人となって家を出た際には心底ほっとしたことだろう。おそらく幼少期からうっすらと、思春期からはハッキリと疎外感と居心地の悪さを感じていたであろう監督が、両親を説き伏せて姉を無理やり病院に連れて行くなんていうことはできたはずもなく(それでも一度は試みたようだが)、「カメラを回すくらいなら病院に連れて行け」といった指摘は的外れだ。そうしたかったのは誰よりも監督自身なのだから。
途中、姉がようやく病院に行ってからたった3か月で症状が劇的に改善した展開には衝撃を受けた。そんなにもあっさりと?統合失調症は薬物治療で改善するとは聞くが、ここまで鮮やかに改善するとは!という驚きと共に感じる、なぜこんなことが25年間も放置されてしまったのかという憤り。姉の表情が生き生きとして、彼女がカメラの前でポーズをとる度に、やるせなさが募る。
私はてっきり、家族が全員亡くなったから(少なくとも両親が亡くなったから)本作を世に出したのだと思っていた。しかし、違った。母と姉が亡くなり、残され年老いた父親に監督は投げかける。病気だとわかっていたのではないのか?なぜ病院に連れて行かなかったのか?と。そこで父親が妻のせいにしたときの絶望たるや。この映像を発表することを了承したことが、父親なりの罪の意識の表れだったのか。おそらくカメラを回していたときから、それがいつか発表されるものだとうっすら予感していたであろう父親の心境は想像できないが、「間違いだとは思っていない」と言い切ったことが、きっと父親なりの娘へのけじめのつけかただったのだろう。それを「愛」と呼んでわかったふりをすることなど私には到底できないけれど。