映画館で観た予告篇から、これは相当に凄まじい映画なのかもと観に行くのに腰が引けてしまっていたけれど、フォロイー様方の真摯なレビューに背中を押していただいて観に行くことができました。冒頭の音声とそれに続くクレジットから、とても誠実なドキュメンタリーなのだということが伝わって来て、身構えていた気持ちがほどけていきました。身構える必要などどこにもなかったし、観なければよかったと思うものなどどこにもなかった。ヘンな言い方かもしれないけれど、愛おしいような気持ちになりました。
ある問いかけがあったとして、その問いに即答できるものがあったとしたら、その時にはそれですっきりするだろうけど、そんな問いかけなどきっと瞬時に消え去ってしまう。そうではなくて、ある問いかけにすぐにはこたえられない、そういうものこそ大事なのであって、そのような問いかけは心の中にずっと在り続け、そしてずっと考え続けるのだと思う。鑑賞者が解を探す映画では決してなく、問いを持ち続けることの有り様を求められる映画のような気がする。それはしんどいことでもあるんだけど。
このご家庭の空間は閉じていて、例えていうなら外へと繋がる扉が開かれていない。外から中へと入る扉も同様に開かれていない。そんな空間に於いて、持ち込まれたカメラは扉の役目を担ったのかもしれない。カメラという名の扉が、時を経て、このご家庭と鑑賞者とを行き来させる。そしてカメラという存在が第三者の役目も担ったのかもしれない。
監督のお姉さんが医療機関と繋がるようになってから、柔らかな変化があり、戸外にいる姿や風景も出てきて、ようやくここに辿り着いたのだなぁと。
観賞した日は、風は吹いていたけれどそれでもぽかぽかとした陽射しがあって、鑑賞後に近くの公園をお散歩したいような気持ちになりました。そのような心持ちになって映画館を出るのはわたしにとっては稀有なことなのかもしれません。