【フランス民衆の誇り/ヴィクトル・ユーゴーの祈り】
※ デジタルリマスターリミックス・リバイバル上映
単にミュージカル映画に分類されがちだと思うが、これはミュージカルと映画の良いところを組み合わせ結果的に大きな相乗効果を生み出した作品じゃないかと思う。
原作に手が加えられていると言われている、このミュージカル「レ・ミゼラブル」を原案にした映画「レ・ミゼラブル」にも、やはりフランス民衆の誇りや、作者であるヴィクトル・ユーゴーの祈りがふんだんに込められていると思う。
そして、呼び起こされるカタルシスは、シェイクスピアやチェーホフの作品に登場する主人公たちと異なり、多くのフランス民衆のそれなんじゃないか。
きっとジャン・バルジャンは六月暴動などで散ったフランス民衆のメタファーなのだ。
わずか一日足らずで失敗に終わった六月暴動は、フランスの人々に革命について再考を促し、その後の七月革命の礎となり、フランス民衆は暴力によらない革命を目指すことになる。
そして、七月革命はこの六月暴動に敬意を表して六月革命と呼ばれることもあるのだ。
最初のフランス革命の後、ナポレオンの支配の下、ナポレオン法典が採用され法の支配が強まった。
しかし、法の番人が権力を振うよくになり、王政復古の後もこの状況が続くことになる。
法は権力者に利用され武器にもなったのだ。
ヴィクトル・ユーゴーは、こうした歴史の皮肉を観察して、この物語を創作したのだろう。
更に、宗教改革によって弱体化が進んだローマ・カトリックも、ナポレオンの国民投票による皇帝戴冠でその政治的な地位はどん底まで落ちた。
しかし、ヴィクトル・ユーゴーは民主主義革命を支持しながらも、ジャン・バルジャンがずっと手放さなかった銀の燭台を通して、人々の信仰心と、宗教が果たすことが出来る役割とは何なのか、そこには人間の慈しみなどがあるに違いないと示唆したかったのではないかと思うのだ。
僕は小学生の頃、「レ・ミゼラブル」の翻訳「あゝ無情」の児童文学向けの要約版を読んだことがあった。
小学生ながらカタルシスに心震えたのを思い出す。
この作品は、歴史を説明せず、歴史を語りかけるところも素晴らしい作品だ。
不穏な時代だ。
フランスも極右と左派が台頭し中道が脅かされている。
しかし、こうした民衆や労働者が自らの権利を行使して政治を動かそうとするのはフランスの伝統でもあるのだ。
再びまともな政治が世界で主導的な役割を果たすことが出来る時代が来ると僕は信じている。