こうであってほしい。あの人は苦しんでいるはずだ。いわばアイドルという他人に自己の欲望を投影させてしまった時、アイドルという虚像に強い感情を得た時、何を見出すのか。
去年リバイバル上映をみて衝撃を受け、ついにDVDを買って改めて鑑賞。DVDはちゃんと値段するけど、今敏のインタビューや当時のプロデュース用映像など、特典映像がたくさん盛り込まれていて、満足度高めですね。
この作品は現実と幻想の二つが視聴者すら曖昧になってしまうような、一種のアトラクション的なエンタメとしてもすごく面白い作品ですね。バイオレントなシーンも結構あるから、なかなか人に簡単におすすめできないけれど、個人的には今敏作品の中でもずば抜けて大好きです。
内容についてですが、結局これは主人公の未麻を取り巻く、マネージャーのルミと、me-maniaの男の2人が抱いた幻想の霧越未麻によって物語が進んでいたのだと、僕自身は解釈しました。(正直この作品はとっても余白が残されているので、解釈の角度を少し変えるだけでも、見え方は変わってくると思うので、こういう表現にしています。)
「私は本物よ」ラストの未麻のセリフ。ここをどう解釈するのかが大きくこの作品の見方をわけると思うのですが、僕は、このセリフを最後に持ってくることによって、霧越未麻は、ずっと霧越未麻として過ごしていたのだと、最大のネタバレなんだと解釈しました。本当の霧越未麻、は最後のシーンでやっと現れたのだと。未麻はアイドルの自分と女優としての自分、それぞれをしっかりと分けて考えて過ごしている。彼女自身はこの作品でも『見えない』存在なのだと。アイドル、という存在は、英語の原訳でも「偶像」ですよね。つまり、その存在自体が、虚構。そのそもそもの虚像に、その周囲が強い感情を抱いてしまったとしたら、、危険じゃない?そんな話のように思うんです。
今敏の情景描写と、作品の魅せ方として、この作品の中ですごく個人的に上手いなとおもったのは、熱帯魚が死んでいるシーンです。あのシーン、たくさんテトラが死んでいたけれど、実は最後に2匹だけ生きて、水槽を泳いでいましたよね。あれが、『霧越未麻という存在に対して、深く感情移入しすぎてしまった2人』を的確に表していると思うんです。アイドルの霧越未麻が死んだことを受け入れられずにいた2人。つまり、ルミとME-MANIAですね。たくさん死んでしまった熱帯魚は、「女優としての未麻を受け入れられたファンや取り巻き」だったんだと思うんですよね。
ルミは、自身がアイドルとして売れなかった、そんな過去もあって、CHAMのメインアイドルだった霧越未麻には売れてほしい、そんな想いがあった。「違う未麻」になることを恐れた、保守的で暴力的な存在としてルミは描かれた。ルミは自身の幻想によって、未麻を依代として殺人をすることで正気を保ち、そして未麻を守ろうとした。
対して、ME-MANIAの男は、「女優である未麻」を壊そうとした。より直接的に。つまり、こちらに関しては、不貞なシーンすら受け入れてしまった(受け入れたという幻想)霧越未麻を恨み、自分が好きだった霧越未麻、つまりアイドルの霧越未麻を求めて行動に出た存在。
ルミも男も、どちらもそのままの未麻を強く求めるあまりに、女優活動に奮闘する未麻を歪んだ見方でしか見れなかったのではないでしょうか。作品中で未麻が演じたドラマ『ダブルバインド』という題名が表すように、虚構の未麻に縛られて、現実の未麻を受け入れられない、ということなのでしょうかね。主人公は未麻のようで、実は虚構を見つめ続けている私たちなのかもしれないですよね。