1回目、ほぼウトウト。2回目、ほぼ起きていた。3回目、ほんの少しだけウトウトしたけど多分きっと大丈夫。でもこんなんじゃダメだ。この映画から抜け出せなくなってしまう。
ペルーの村に、アメリカから西部劇映画の撮影隊がやってくる。激しい銃撃戦が撮影される。それをみていた現地の人たちが、映画撮影ごっこを始める。でも彼らは喧嘩のシーンでは本気で殴り合ったりする(映画では殴るマネをするのであって、実際殴ったりしないということをデニス・ホッパーが教える場面がある)。暴力的な雰囲気が高まることを村の神父パードレが心配する。
映画を持ち込むことによって変わる村人たち。それを神父は批判するけれども、カトリックも外から持ち込まれたものなわけであって。観ていて深いなぁと思う。そしてペルーの村の風景がとても美しい
映画の後半になると、デニスホッパーが汗をふきふきする場面が多くなってくるのだけれど、これはドラッグの影響なのかと観ていて心配にもなる
どの場面が現実でどの場面が幻なんだか、その境目が次第に溶け出していく。最後のエア撮影場面は、「地獄の黙示録」で一行がたどり着いたカーツ大佐がいる王国と近しいものを感じ、観ていて感情が昂ぶった。竹で作った撮影機器。回転する花火。なんだかよくわからないけれど、それはあまりにも美しくて観ていて涙が出る。
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・映画『デニス・ホッパー 狂気の旅路』で、サミュエル・フラーの自伝『わたしはいかに書き、闘い、映画をつくってきたか』の一部が朗読される。それが、この映画の主題(主題がいくつもあってよいならば、いくつかある主題のうちのひとつ)を端的にあらわしていると思う。
「(これは)ペルーの辺境での映画製作の話だ。西部劇撮影の過程と、奇跡を観察する原住民。脚本はピランデッロふうで文化の衝突を描く。先進国の文化が裏目に出るさまを見せる」
・同じく、映画『デニス・ホッパー 狂気の旅路』によると、編集に行き詰ったデニス・ホッパーにホドロフスキーがアドバイスして、しかも編集を手伝った?らしい
・美しい曲がたくさんかかる(例:Only Once, Pt. 2)。これはフリーダムについての映画なのかな。リバティじゃなくて。とわたしは思ってみたり
・な、な、なんとなんと。神父役がトーマス・ミリアンだったことには3回目の鑑賞で気がついた!格好いい!!!