「1828年の聖霊降臨節の日曜日 N市で身元不明のひどい身なりの青年が保護された。この男は後にカスパー・ハウザーと名付けられることとなった。
彼はろくに歩けず、たった一つの語句しか喋れなかった。言葉を覚えてからの彼の記憶によると、生まれてこのかたずっと地下牢に閉じ込められ、自分以外に人間がいることさえも知らなかったという。食事は眠っている間に差し入れられていたからだ。世界というものについてまるで見当がつかず、木・家・言葉が何を意味するかもわからなかった。ある日ひとりの男がやって来て、その後解放されたそうだ。彼の素性の謎はいまだ解けていない。」
そして、激しく風になびかされ、まるで生き物のように揺れる青い麦の穂の映像と、パッヘルベルのカノン…
「それは沈黙(しじま)と呼ばれる… 辺り一面恐ろしい叫びが聞こえませんか」という文字。
そんな、胸が締め付けられるようなオープニングからこの映画は始まる。
これは実際に存在したカスパーという男の人生の映画である。
「19世紀ドイツの最大の謎」と言われるカスパー・ハウザー。16歳で見つかったときに持っていたのは一通の手紙のみ。送られた大尉には心当たりはなかった。前述したように、真っ暗な地下牢に、おもちゃの木馬のみを与えられて閉じ込められていた。いわば、野生児。が、驚異的なスピードで言葉を覚え、芸術に開花していく。しかし、二度にも及ぶ暗殺により殺されてしまった人物である。伝記を書くという噂が広がり、その素性がわかる前に…
この神秘に満ちたカスパーを、狂気の監督へルツォークがいかに描くのか、それが楽しみで見たくて仕方がなかった作品。
映画について述べると、まずその映像に心を捕まれる。例えばオープニングの荒い淡い池の中をゆったり進むボート、揺れる穂。
まるで絵画を見ているかのような気持ちになる。
そして、流れる自然の音とクラシック。とにかく美しい。
が、そこにあるのはただの美しさではない。常に、悲しみがある。些細な表現にしても、そこに深い意味が込められているのだ…
幽閉されたカスパーの動く足、真っ白な足、歩く事を教えられる中の朝日…オープニングでのその映像だけで、それが伝わってくる。
外界に出たカスパーは、人々の好奇の目を浴びる。
時に、村の若者たちのいたずらの餌食となる。時に、市の財政が厳しくなり見世物小屋へも送られる。時に、社交界へも出る。状況は変われど、彼はいつも様々な人の中で、翻弄されてきた。
カスパーを優しく世話をする人。大事にする人。バカにする人。見世物として利用する人。サーカスを楽しむ人。社交界で自分のトロフィーのように見せる人。
全く人との関わりを得てこなかったカスパーにとって、それらがどれほどまでに彼の心に衝撃を与えたのかなど、想像できない。
彼は庭の木の実を摘み取りながら、こう言う。「僕がこの世に現れたのは、激しく墜落したようなもの」と。木の実をとる事すら、彼にとっては「良い」事ではない。「他者」や「社会」の存在すら知らなかった彼にとって、それらから押し付けられる「常識」という「エゴ」は無論理解の出来ないことであり、あの独房に戻りたいとまでいう…
彼は“異物”なのだ。
カスパー・ハウザーを演じるのはブルーノ・S 。彼は、道端で演奏して生計をたてていた一素人だった。娼婦の母が産んだ子供であり、後に障害者施設へと送られる。時はナチスの政権下。知的障害者などは人以下のもので、彼は実験材料として様々な事を受けたという… 何度もかの脱走を繰り返し、そして遂に外の世界へとでる。その幽閉期間は23年…。ブルーノはこの映画ののち、また路上生活へと戻る。まさしく、カスパー・ハウザーそのものではなかろうか… どうしても、ブルーノとカスパーをリンクさせてしまう。
この映画はブルーノありきの映画だ。リアルさが半端ない。見開かれた目。上にあがる眉。激しく変わる事はあまりないものの、彼の表情からはあらゆる秘めた感情を感じとる事ができる。初めて知る事への喜び、驚き、苦悩、悲しみ、悩み…
それらが全て、純粋でいとおしく、素晴らしいの一言。本当に、本当に、素晴らしい…
今、こんな事を撮れる監督がいようか。否。ヘルツォーク監督の映画は恥ずかしながら『ノスフェラルトゥ』と『小人の饗宴』しか見ていない。が、実際の小人を使った、あの“異物”とされる小人の“凄まじい”映画は一生心に残るものだった。
映画への狂気に溢れすぎているといわれるヘルツォーク。16歳のカスパー役に中年のブルーノをみつけだして起用したヘルツォーク。好奇の目と人のエゴを描いたこの作品によって、一人の男もまた好奇の目にさらされる事となる。なんという狂気と皮肉に溢れた話だろう…
しかし、カスパーが小鳥に餌をあげる喜び。赤子をいとおしむ気持ち。そこには生命の喜びを感じる。音楽を純粋に楽しむカスパー。文学を学び、小説すらか書き、初めて夢を見、“人間”という喜びを感じたであろうカスパー。生きるという事はなんなのか。人間とはなんなのか。
だめだ…………2回見たけど、この感情を全て言葉で述べることなんでできない。たった数分の見世物小屋のシーンですら、心がキシキシとするのに…
カスパーの話など、いくらでも感動的にドラマチックにサスペンスに描く事はできる題材だ。存在自体が謎なのだから。が、ヘルツォーク監督は、そうしない。人間のエゴを完全に批判している作品だけれど、それだけでは全くない。描いているのはエゴの餌食になる人だけでなく、社会だ。が、それだけでもない。
あぁ、なんて皮肉で歪んだ表現者なんだ…例えばカスパーがピアノを弾くシーンでも、彼の美と“一般”の美というものを観念の違いをあからさまに表現してくる。
一番心に残っているのは、まずカスパー兼ブルーノの表情だ。この表情は、一生、一生、忘れないと思う。
そして、彼の夢にでてくるコーカサスの風景。彼の美しき想像性… 荒涼とした山々と人々…「僕は コーカサスの夢を みたんです」全てを救ってくれるようなこの情景を、私はずっと心に刻むだろう…… しじまの中にある叫び。カスパーの、ブルーノの、声にならない叫び声を聞いて欲しい。