【灯台=監視者👁】
公開当時は『シックス・センス』と同じようなどんでん返しオチで白けたと観客から不評を買ったスコセッシ作品である。
たしかに些か強引とも思える「ネタバラシ」の場面は賛否両論別れる感じだ。が、スコセッシの場合は謎解きよりも「如何にして人間という【モンスター】が作られるか」というフロイト精神医学的なアプローチの方が濃厚であり、ミステリー映画として見ると肩透かしを食らう出来。
冒頭でディカプリオ演じるFBI捜査官が異常な状況に放り込まれる予兆を切り取った船上シークエンスは【虚構性】タップリで何とも嘘臭い雰囲気。すでに最初から映画的仕掛けが施されてある点がユニーク。
デニス・ルヘイン原作なので『ミスティック・リバー』同様に後味の悪いオチで、米ソ冷戦を背景にした当時の「薄気味悪いムード」が全体を支配している。アメリカの【不都合な真実】を口にしたらいけない、といったある種の不文律が舞台となる精神病院に流れており、皆が自分を押し殺している。
だからラストの灯台でベン・キングスレー演じる院長が「口にしてはいけない」世界の真実を主人公に敢えて告白する。「狂っているのは世界ではなくお前自身だ」と。ディカプリオ演じる主人公のペルソナを形成しているモノはほとんどアメリカの闇歴史でありタブー(禁忌)に近い。主人公を知ることは同時に世界の真実を知ることであり、皆がその真実から目を背けたがるのだ。
「人間として生きるかモンスターとして生きるか」の二択を迫られた主人公は最終的にシステムの中に汲み取られ、再び病院での治療が始まる…。永遠に八方塞がり。
この世界は純然たるフィクション(嘘)なのだが、なぜかそういったフィクションの方が真実味を増しているという一種のアイロニーがあり、やはり演じる・芝居する・装うことでしか現実を生きれなくなった堕ちた現代人への嘆きが聞こえて来る…。そんなスコセッシ流の現代人批評が本作であると思う。
ロバート・リチャードソンの撮影が悪夢的で終末観てんこ盛り。精神を病んだ妻、ミシェル・ウィリアムズの子供達の死体を超俯瞰から撮る構図がスコセッシらしくキリスト教的モチーフを感じさせた。