確実性のない、妄想的現実からの脱却。
本作は、鑑賞から時間が経った今でも鮮明に、物語展開や画の切り取り方、俳優陣の演技の様を覚えています。
そこには文学的な感触があり、その余白を自分の中で調理して考えてみたくなる作風となっていました。
エヴァンゲリオンシリーズで馴染み深い、庵野秀明が監督をしているからこその魅力が存分に発揮されていたと言えるのではないでしょうか。
映像として、高揚感のあるカットも多い中で、如実にダサさを感じるカットも少なからずあって、その辺りの落差には頭を悩まされました。
スタンリー・キューブリックを思わせる美術や画作りは、本作を語るにおいて欠かせない要素で間違いないですが、カントク(岩井俊二)に彼女(藤谷文子)が住んでいる場所を紹介するシークエンスの撮影や編集には見づらさを覚えただけでなく、作品としての格を落とすような演出になってしまっているように見えました。この辺りの評価は、他の方の意見も聞いてみたいです。
また、基本的に情報(思想)はモノローグが多用されながら明かされていくので、映画というより小説の世界を体験しているといった表現の方が適しているように感じました。
この点は庵野秀明監督作の特徴でもあるため、良い悪いの判断を下すのは難しいですが、本作に関してはやや比重が大きい、バランスを崩しているような印象を受けました。
残酷にも1日1日が経過していきますが、同じ日、即ち誕生日の前日に取り残される、あるいは望んでその日に居続ける彼女の異質感は、カントク同様に惹かれるものがあります。
彼女が持っている赤い傘の意味合いは、エヴァンゲリオンシリーズにおけるATフィールドを想起させ、監督作に共通する精神性にファンとして興味深さを感じるのは言うに及びません。彼女自身も、アスカを思い起こすようなキャラクター造形となっていました。
自分と他者、その間を隔つもの、それを乗り越えようと同じ時間を過ごしていくことで見えてくる底知れない他者性は、もはや恐怖描写のように演出され、彼女の抱える心の闇を疑似体験させられたような感覚がありました。
他にも、映像を撮ること、そしてそれを編集することについての哲学にも唸らされる自分がいました。これは本作に限らず、この世界にある映像と、編集が施された映画、そのどれもに重ねられるものだと思いました。
総じて、作家性が強く反映された、文学的余白を楽しむ怪作でした!