このレビューはネタバレを含みます
自分の選択がいかに価値があるかを語る映画。
主人公ネオは、今まで生きていた世界が仮想現実で、本当の現実はコンピューターと戦う悲惨な世界だと知る。我々が暮らしている日常の風景が、そこから目を覚まさなければいけない嘘の世界と設定されることで、この映画は観客に対して直に矛先を向けている。我々も日常をのんびり暮らしていてはいけないと言われているのだ、と感じさせる強烈なメタ演出。
「仮想世界のモブたちの中で、それが仮想世界と気づいている主人公たちの動き」を見せるシーンがあるが、『インセプション』『ドクター・ストレンジ』はこの映画の影響が濃いのがよく分かる。
ネオは、赤と青の錠剤どちらを飲むかで、本当の現実に目覚めるか、一生仮想現実でこのまま生きるかの選択を迫られる。ネオは、怖いけどここ以上の広い世界があるのならそれを逃したくないという思いで、赤い錠剤を飲んで目覚める。最初の選択は、現状を捨ててあるかどうかも分からない上の世界の存在に賭けてみること。
そして現実で目覚めたネオは救世主として迎えられる。「ネオのように自分の能力を発揮するべき世界を探す生き方をしろ」というメッセージが直接伝わってくる。
この映画全体でネオがすることは、自分が救世主だと信じることができるか、という課題。
目覚めたはいいものの、自分が救世主だなんて自信が持てず、預言者にもそう言われてしまう。しかし、救世主ばりの行動をするためにまず必要なのは、自分こそ特別だと信じること。預言など関係ない。
我々の実生活でも、他人や過去の例から「お前みたいなタイプはダメ」と説得力を持って言われルことがあるかもしれないが、と関係ない。あるのは、やるかどうか、だけ。
シリーズとしてはスミスが宿敵だが、今作でネオの物語に重要な悪役は、裏切り者のサイファー。赤い錠剤を飲んだことを後悔している彼の望みは、記憶を消して仮想現実の世界に戻ること。かつてはネオと同じく、目覚めることを望んだが、その後もずっと続く険しい道に耐えられなくなった。初期衝動だけでワクワクし続けられるわけではない、何も知らずに流されていた頃の方が心の安定があった、という気持ちは理解できてしまう。
それに対してネオは、憧れていたものと実情が遠くても心折れず、救世主になろうとする。それは、モーフィアスが命がけでネオを助けるくらい、自分に賭けてくれている人がいるとネオが気づけているから。
ネオが預言者から言われたのは、自分が生き残るか、自分を犠牲にしてモーフィアスを救うかの二択。しかし、彼はモーフィアスを助けて自分も生き残るという結果を得てやるんだ、とモーフィアスを助けに行く。
与えられた選択肢に縛られず、自分で設定した選択肢を選ぶ。達成できるかどうかじゃなく、自分はそうする、と決めたネオがかっこいい。流されるのでなく自分の選択をしないと、せっかく自分として生まれた意味がない。