フランシス・フォード・コッポラは70年代に2本の『ゴッドファーザー』と『地獄の黙示録』に加え、今作しか撮っていない。然しながらぞれら4作は燦然と輝くアメリカ映画史の傑作たるいずれも名画である。中でも今作の地味な傑作ぶりは今でも色褪せない。サンフランシスコのユニオン広場、ビルの谷間にあるこの市民の憩の場所には、いつもギターを手にした若者や暇をもてあました老人がたむろしていた。よれよれのレインコートを羽織った、どこといって特徴のない中年の男の眼が、広場を散歩している1組の若い男女に注がれている。だが、仲むつまじいカップルを監視しているのはこの中年男だけでなく、近くのビルの窓と広告塔の上から望遠レンズを持った男たちが2人の姿を追い、大きな紙袋を下げた別の男も、2人のすぐ近くをウロウロしている。男は、アメリカ西海岸ではその道一番の腕ききといわれるプロの盗聴屋ハリイ・コール(ジーン・ハックマン)だった。スコープから超望遠で覗き込むのはいったい誰なのか?
盗聴器や盗撮器の技術は進歩したとはいえ、ウォルター・マーチの編集は神懸っている。パントマイムやストリート・ライブの喧騒の中に男は、不倫相手との情事を克明に記録して行く。どうやら今作の主人公には、ウォーターゲート事件の録音解明したハル・リプセットがモチーフにあったという。盗聴屋ハリイ・コールは盗聴のプロで、自身のプライバシー侵害を嫌い、セキュリティを何でも厳重にしなければ気が済まないある種の神経症的な主人公に他ならない。日曜日のクリスチャンとしての告解と、JAZZのレコードを掛けながら、SAXの疑似共演だけが唯一の楽しみで、ある種気が狂ったようなストイックさに追いまくられている。その日も依頼された仕事を淡々と終え、あとは専務に渡しに行き、報酬を貰うことだけが全てなのだが面会の場には専務はおらず、専務助手として秘書のマーティン(ハリソン・フォード)という男がいるだけだった。恋人や仕事仲間にすら心を許さない男の描写は、コッポラの映画に度々登場する孤独で神経症的な完璧主義者を地で行く。ジーン・ハックマンの演技も真人間がやがて殺人の片棒を担がされるのではという見えない恐怖に囚われて行く。正に現代のパラノイアと呼ぶべき狂気の世界を幻視し得たコッポラ70年代の『ゴッドファーザー』の1と2の間に挟まれた名作である。