shunsukeh

ボディガードのshunsukehのレビュー・感想・評価

ボディガード(1992年製作の映画)
2.0
ホイットニー・ヒューストンが不世出のシンガーであることは疑いようもない。1985年のデビューアルバムの大ヒットから始まる彼女のキャリアは、この映画が公開された1992年それは絶頂に達した。その前年、スーパーボウルでの国歌斉唱は絶賛され、お膳立ては出来ていた。満を持しての主演映画。絶対に失敗は出来ない。競演は当時、脂の乗りきっていたケビン・コスナー。申し分なし。
この時、ホイットニーや彼女の取り巻きが極めようとしていたのはどんな足跡なのだったのか。彼女ほどのシンガーで俳優でのキャリアを極めた者はいない。ホイットニーはその唯一無二のスターへの道を歩もうとしていたのかも知れない。しかし、その取り巻きは、彼女を軸にしたビジネスを慎重に冷静に見通していたのだろうと思う。エルビスやビートルズは一流の俳優にはなれなかったが、映画を一つのガソリンにしてビジネスを爆発させた。このパターンを踏襲したかったのかも知れない。
その最初の映画は、ベースは彼女の為に書き下ろされたものではないようだが、設定は、彼女の地でいけるし、人物描写もおそらく本人のキャラクターを活かしたものだったのではないかと想像する。その結果、彼女の演技はこの映画にはまっている。その内容は、サスペンスをベースにしたラブロマンスでアクションの要素もあり、バランスのとれたもの。映画は成功し、主題歌は彼女のキャリアの中での最大のヒット曲となった。
しかし、その後、ホイットニーは結婚、出産を経て、アルコール、ドラッグに溺れ、それが彼女に若くしての死をもたらす。彼女がそうなった理由は、自分が求めたものと現実のギャップだと想像している。彼女は結婚出産を経ても、更なる高みへの上り坂を登るつもりだっただろう。また、彼女の取り巻きは、そんな高みではなくても、復帰を契機にすれば、まだまだ稼げる鉱脈だと彼女のことを考えていただろう。しかし、そうはならなかった。彼女はステージから離れている間に、逃げたくなる何かにぶつかり、逃げる方法を見つけ、それに走り、描いていた未来を失った。そのように未来を失いつつあることを忘れるためには、見つけた方法にのめり込むしかなかった。そんな循環をだったのではないか。
多分、彼女が平穏で幸せな人生を歩むために必要だったのは、結婚相手をそうさせてくれる相手にすることと、人気、評価が絶頂のタイミングで引退することだったように思う。しかし、彼女が望んだのはスターダムを極めることだった。彼女には、数十年に一人の才能があり、それを磨く修練を積み、大きな野心があった。それは、時速300kmで走るF1のマシンのようなもので、それぞれのバランスがとれているときには最高の結果をもたらすけれども、少しのバランスの崩れが破局をもたらす。究極のハイパフォーマーにはそんなところがあるのではないだろうか。
shunsukeh

shunsukeh