幻戯書房の〈ルリユール叢書〉は古典から様々な海外文学の翻訳シリーズでありポストモダン文学や未訳の奇書と呼ばれる小説までそのラインナップは多岐にわたり《読まれざる傑作》として有名(らしい)なエヴァン・ダーラ『失われたスクラップブック』が邦訳されその序文として引用されているのが『タイタス・アンドロニカス』より台詞「どうか私の話を聞いていただきたい。どうすれば、この吹き散らされた麦の一粒一粒を一つの穂に集め、このばらばらの手足を一つのからだにもどせるか。」
其れを読んで本作『タイタス』を思い出した次第(長い前置き)
探したら配信ないものの某動画配信サービスで普通に見れたという…
『ライオンキング』の舞台監督によるシェークスピア『タイタス・アンドロニカス』の映画化。
冒頭、台所で兵隊人形使って戦争ごっこでそこらをめっちゃくちゃにする少年。
すると本物の戦争、爆撃が始まり燃える家から突然現れた男により救出され(この男はリア王でもお馴染みの《道化》であり何処にでも現れる存在)気づくとそこはローマコロッセオ。
兵馬俑みたいな泥塗れのローマ帝国軍兵士の凱旋、大量の兵士達によるマスゲーム、演舞が始まる。
時空間の混乱、古代ローマと現代、鎧の兵士達とバイク部隊、装甲車迄現れる。
同じくシェークスピアの映画化バズ・ラーマンの『ロミオ➕ジュリエット』は蜷川マクベス方式で戯曲をそのまま現代劇にした感じでしたが本作は古代であり現代でもあり更には舞台劇でもあるというメタ的演出や古代の兵士も入れば同じ空間にライフルや近代兵器を持った兵士もいるというごった煮のデザイン、世界観。
紀里谷和明『CASSHERN』にも影響与えてる気もする。
二作目『GOEMON』もこのレトロであり近未来的でありのごった煮世界観、そして紀里谷和明監督がやりたかったのはアニメ的アクションよりもこういうシェークスピア悲劇だったと思うし。
ロミオとジュリエットもそうだけどシェークスピアの戯曲って必ず最初に大失敗しでかすアホやおっちょこちょいのせいで全てがろくでもない方向に転がっていくのがパターンであり『タイタス・アンドロニカス』はシェークスピア戯曲で最も陰惨で残酷な悲劇との評価ですが出てくるキャラクターほぼ全員アホばっかりで誰のせい?って思った時ほぼ全員悪いという結論で同情の余地はない。
壮絶な復讐劇と言えどそもそもゴート族滅ぼしたのはローマ帝国だし、そこから復讐の連鎖でどっちもどっちな気がする。
タイタスが皇帝の座を辞退し皇帝のアホ息子を皇帝に据えたせいでこのアホみたいな惨劇・喜劇はスタート(ハッキリ言って之はグロテスクなコント・喜劇だと思う)
なので主人公タイタスがどんな悲惨な目にあってもそんなに心は痛まない。
一番笑ったのが皇帝の弟殺しの濡れ衣を着せられ(コレも茶番の様な罠)「身の毛もよだつような拷問」(コレもどんな拷問受けてるのか見せて欲しかった←鬼畜w)受けてる二人の息子を返す代わりに「左手を切り落としてよこせ」って切って渡したら屋台みたいな舞台三輪カーで道化がやってきて大道芸見せるみたいなノリで「世にも間抜けな物語~」って唄いながらシャッター開けるとタイタス息子二人のホルマリン漬け生首にタイタスの左手が展示されてるという。
「皇帝はタイタスの善行に報い、手と息子二人の首を晒し者にせよと」って余りに酷過ぎてこのシーン爆笑だったんですけど。
デレク・ジャーマンやグリーナウェイのテンペスト等シェークスピア戯曲の現代的解釈、繰り返し映画化されたりしてるけど『プロスペローの本』が一番好き。
コレで今年のフィルマークスも〆で。
二ヶ月程フィルマークス休んだりしましたが矢張りフィルマークスの映画評読むのは好きだし映画見る上でなくてはならないものになってるのでこれからもよろしくお願いいたします😇
それでは皆さん良いお年を🎍🐍🎍🐍