ジャン黒糖

荒野のストレンジャーのジャン黒糖のレビュー・感想・評価

荒野のストレンジャー(1972年製作の映画)
3.5
最新作『陪審員2番』を観るまでに近作まで観ることはもう諦めてるけど、プレイバック:クリント・イーストウッド監督作2本目。

最後に浮き彫りになる主人公の正体によって、作品のテーマがボヤけてしまった感はあるものの、見応えのある一本だった!

【物語】
寂れた町、ラーゴに1人の流れ者が辿り着く。
町の用心棒として雇われたことを良いことに傲慢な態度を取っていた賞金稼ぎたちは、突然現れたその流れ者を訝しみ襲い掛かるが、見事な早撃ちによって返り討ちにされてしまう。
一方、町民たちはかつて町を悲劇に陥れた悪党たちが刑期を終えて町へ復讐しに戻ってくることを恐れていたが、用心棒を失ったことでダメ元、寡黙な流れ者に町を守るようお願いするのだった…。

【感想】
面白かった!
型破りな流れ者が町民の反感を買ったり交流深めたりしながら町の窮地を救う映画って、安定して面白いよね。
それこそ日本でいう黒澤明監督の『用心棒』とかも最高だし、それに影響受けた『荒野の用心棒』は未見だけどこういうジャンルがやはりイーストウッドは好きなのかな。


さて、この映画のメッセージは「目の前で起きていることを黙認するな」かなと思った。
「黙って見ていた奴らも同罪だぞ」と。

流浪のガンマンが訪れた地ラーゴは、町民曰くつつましい平和な町というけれど、物語が進むにつれ町全体が過去にある罪を負ってしまっていたことが明らかになる。
主人公は町の新たな用心棒となることを最初こそ嫌がっていたけれど横柄な条件によって合意し、以降あらゆる対策、要求を町民たちに頼むのだけれど、主人公はこの町が負う”過去”を知ってか知らずか、町民それぞれの”過去”の罪に対する距離感によって要求レベルが異なるのは観ていて痛快だった。

体裁的には”過去”をまるで無かったかのように振舞おうとする人たちは自分たちの商いを主人公に無償で搾取されたり役職を強引に奪われたりし、ちゃんと”過去”を忘れずにいた人たちは主人公と協力し合う。

本作には二度、主人公、そして町にとってトラウマとなる「ロープ」をめぐる”過去”が出てくる。
この二度目のとき、我々観客は町民ひとりひとりの主人公との距離感≒”過去”との距離感をなんとなくでも既に知っているため、それが映し出されたとき「こいつら~!!」と思う。

登場人物の一人は言う。
「平和の代償が人の命であっていいのか」

本当にその通りだ。


そして映画序盤から美容院のなかで襲い掛かれたときの早撃ちシーンや馬車に載った人形の頭を弾くシーン、ビールを飲みながらも背後のナイフを持った男を脅すシーンなど、力の強さをあの手この手で見せてくる主人公がことごとく渋くてカッコいい。
後述するある場面を除いて、カッコいい。

そんな主人公がいよいよ悪者たちと退治する場面。
「あれ…あれ…!あんなに積み重ねてきたのに…いないの…?」と不安をあおりにあおって満を持して登場するカッコよさ!!!
しかも目には目を、ではないけれどちゃんとこの町のトラウマを晴らす戦い方で対峙するのがカッコよすぎる…!
3人それぞれの倒し方が渋すぎたぜ…

ちなみに、いよいよ悪者たちが復讐しに町にやってくるこの場面。
ある町民たちが決戦を前に酒場でとる行動は、それまで憎いと思っていた人たちでさえ、流石に実力差を前にすると人はこういう行動を取るよな、というリアリティを感じた。



という訳で大変楽しい娯楽作。
だったんだけれど、…

映画が始まってすぐから感じていた「当時はアリだった」かもしれない、男性優位の時代ゆえの女性を手込めにする場面への違和感、不快感が、中盤再び起き、いくら時代を理由にしてもそれは許されるのか、とモヤモヤ。
そしてラスト、主人公の正体がこの地に根付く都市伝説的に明かされたとき、「え、主人公が寝ながらうなされてたトラウマの正体ってそういうこと?!」と思ったと同時に、翻ってじゃあ手込めにしてたのってやっぱり、いくらイーストウッド本人がプレイボーイだからってダメな人物設定じゃない??という疑問が、ラーゴという砂地一帯の地を漂う蜃気楼のようにモヤモヤを残して映画は終わってしまった。。
この設定がなければ、まだもうちょっと印象は良かったかもしれない。。
ジャン黒糖

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