このレビューはネタバレを含みます
この映画で考えさせられたこと。
過去の記憶を失うとどういうことになるのか。自分を知っていてくれる人たちが自分の周りにいる環境であれば、自分は何者かという問に対して正しい答えを聞くことができる。それにすぐには馴染めなくても、時間をかければ自分の過去を再構築することが出来るだろうし、そういう刺激が、記憶を蘇らせてくれるかも知れない。何とか生きていけそうな気がする。
しかし、この映画の主人公は、誰も自分のことを知らない中での記憶喪失だ。自分の名前をはじめ過去の全てを喪失している。こんな中では、まず、自分が何者かが分からないという根源的な精神のぐらつきがあり、また、経済的にも社会的にもかなり追い込まれている。しかし、彼には、それに絶望する姿どころか、焦りや動揺すら見られない。極めて飄々としている。彼の態度は、取敢えず目の前の現実を受入れ、その時々の流れに身を委ねるように自分の人生を進めていく。
彼はそんな暮らしの中でイルマと愛し合うようになるが、彼が何者だったかが分かり、また、妻がいることも分かる。彼はイルマに勧められ妻に会うが、その結婚生活は破綻していて、離婚が成立していたことが分かる。彼はイルマの元に戻る。ハッピーエンドだ。でも、ちょっと引っかかる。彼が無くした記憶の中で、とても、大切なもの、一生忘れないと思っていた素晴らしいものがあったはずだ。そんなことの何もかもを失った彼は幸せなんだろうか。
その答えは多分、幸せ。人が生きているのは今。だから、その今にフィットして未来を信じていられるなら、それが幸せ。彼は記憶を失ってからそんな生き方をしている。これがこの映画が伝えたかったコアな部分のような気がする。
話はそれる。自分の預金を凍結され、それを引き出すため銀行を襲った元経営者。彼がどうしてもやり残したくなかった元従業員への未払いの給料の手渡しを、社会的には最も信用が無い過去のない男に委ねる。過去の記憶、もしくは、記録より、今、目の前にいるその人から何を感じるか、それが元経営者の判断材料である。そして、それは正解だった。現代社会の中での記憶/記録に対する大いなる皮肉だ。