shunsukeh

ドリームガールズのshunsukehのネタバレレビュー・内容・結末

ドリームガールズ(2006年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

この映画は、私が思うミュージカル映画の美点を非常に高いレベルで備えていた。
まずその一つ、ストレートな身も蓋もない明け透けな言葉のぶつけ合いが、音楽に乗ることで、美しく、楽しく、胸躍るものになっている。それ以上に、この映画では大半の台詞が音楽に乗せて歌われるにも関わらず、通常の映画では不可能なくらいの多くの情報を盛り込みながら、破綻がないどころか、話の隅々まで理解させながら、極めてスムースにストーリーが展開していく。つまり、通常の映画であれば話の展開に手間も時間もかかるところをワープするように展開させている。
そしてもちろんその音楽だ。エフィ役のジェニファー・ハドソンを中心とする歌唱と演技は素晴らしい。特に、エフィと仲間たちがぶつかり合い、リハーサルのステージの上で、歌に乗せて言いたいことを言い合うシーンは圧巻。ただの台詞なら見聞きすることが辛くなりそうなきついシーンも音楽が芸術にしている。このシーンの最後に、エフィが自我(エゴ)に取り憑かれ熱唱するシーンには圧倒された。
また、この映画は、そのようなミュージカルの美点だけで押し切る映画ではなかった。登場人物それぞれの幸せを求める姿が味わい深く描かれていた。
主人公のカーティスは敏腕のプロデューサーで何よりも売れる事を優先する人物。その根底には白人に差別される黒人のハングリーさと白人に対する媚びみたいなものをがあり、そのバランスの変化が描かれている。その象徴は彼の髪型で、序盤はカールしていない髪をなでつけている。これはジェームズ始め、何人かの黒人の登場人物にも言える。それは、黒人のあるがままの姿を消して白人に近づく態度だ。しかし、業界の中である程度の地位を得た後は、あるがままのカーリーヘアの姿だ。これは、白人が黒人を虐げる社会から、徐々に、黒人が当たり前の権利が得ていく社会への変化と、その過程での黒人が嘗めていた辛酸を表わしている。カーティスは彼の事業の成功と、黒人としての誇りを取り戻すことを重ねているような気がする。
エフィは抜群の歌唱力を持ち、また、それに大きな自信を持つ。カーティスとも愛し合うようになり、グループのリードボーカルとして世に出るステップに立とうとした時に、リードボーカルからは降ろされる。彼女は全てを得たかったが、まずは業界の中で注目されることが彼女たちの望む道への最初のステップであり、そのためにこの選択は有効だと他の仲間は判断したのだ。彼女は一旦は仲間を信頼して納得するが、カーティスの愛が疑わしくなったとき、全てを失うような気持ちに支配された。彼女は本当は欲しいものを抑えることができない性格であり、それが爆発してしまうのだ。彼女は一歩引いて自分や周りを客観視することが出来なかった。
ジェムスは一時は黒人の音楽のムーヴメントの中では一世を風靡するが、カーティスのビジネスがその殻を破ろうとする中で時代遅れになってしまう。かつては輪の中心にいた彼は、その端に追いやられる中で、屈辱を感じ、寂しさを味わい、卑屈にすらなり、クスリに逃げてしまう。彼には過去を忘れることが必要だったのかも知れない。
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