shunsukeh

肉弾のshunsukehのネタバレレビュー・内容・結末

肉弾(1968年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

太平洋戦争の末期、主人公は敵の戦車の下に爆弾を持って潜り込む特攻作戦の隊員である。冒頭、彼は空腹のあまり倉庫で食料を探していた。彼はそれを見咎めた上官の鉄拳制裁にも平然とし「私は反芻ををしているから牛です。他の者もそれができます。」と言った。中隊長は「飯は一口48回噛め。そうすれば全てが身につく」と言った。食べ物を忠君愛国・尽忠報国の思想に置き換えたらどうだろう。彼らには文字通りの決死の作戦を強固な報国の決意を持って実行するには、まだまだ、その思想の刷り込みが足らない。反芻しても反芻しても足りないのだ。その結果、彼はどうしたかというと、思考を止め、感情を殺した。鉄拳制裁を受けても、豚と言われ裸で訓練をさせられても、国のために死ねと言われても、喜劇的なほど平然と、飄々としている。一方で、彼と観音様と呼ばれる娘は、事あるごとに方程式を唱え出す。方程式は解を導き出すためのものだ。彼らは抑えつけられている人間性の回復の仕方を方程式に求めていたのではないか。観音様の死を知ったとき、彼は方程式を唱え「出来た」と叫び、少年と敵討ちの話をする。しかし、彼の敵討ちは終戦という形で終わり、彼は押し殺されていたものを取り戻す。しかし、彼は海に置き去りにされ死に白骨になって発見される。この皮肉には、人間性を押し殺されていた時間は取り返しがつかないことを感じさせる。
shunsukeh

shunsukeh