キングの中編小説集『恐怖の四季』の『転落の夏』を実写化した人怖物語。将来有望な少年とアウシュヴィッツ収容所の副所長だった老人の出会い。ホロコーストに興味を持っていた少年の危険な好奇心が招いた結末とは…😱原作よりマイルドな展開が繰り広げられるも結末の不穏さは映画版も味わいあるかも?(140文字)
****以下ネタバレあり&乱雑文****
📖#原作小説を読んで比較してみようシリーズ🐝
◆あらすじ◆
ロサンゼルスで暮らしている成績優秀な高校生・トッドの最近の興味はナチスやホロコーストのこと。熱心に情報を収集しスクラップを作る日々を過ごしている。ある日、近所に住んでいる老人がかつてアウシュヴィッツ収容所の副所長を務めていた戦争犯罪人だということに気がつく。そして自分だけが知っているその秘密を武器に老人の家を訪ね、真実を黙っている代わりの条件を突きつけた。それはアウシュヴィッツ収容所の話を自分に聞かせること。「その場にいたあなたの口から全部のことを聞きたい、それだけが望み」話すことを嫌がる老人の家に通い、アウシュヴィッツ収容所の残酷なリアルな日常を興味深く聞き続けるトッド。しかし度重なるこの奇妙な密会は、将来有望と周りから期待されていたトッドにも、もう静かにひっそりと余生を過ごしたいと願っていた老人にも身心へ悪影響を与えていき…。
❶キングの中編小説集『恐怖の四季』の『転落の夏』を実写化したヒトコワ物語
十数年ぶりに再鑑賞するので、ついでに原作も十数年ぶりに読み直そうということで〈原作小説→映画〉の流れでの鑑賞です。
スティーヴン・キングの4つの中編小説『恐怖の四季』の中で『転落の夏』の物語として収録されている『ゴールデンボーイ』の実写化です。主人公は成績優秀な高校生のトッド。周りからの評価は〈好青年〉なのですが、本人は密かに〈ホロコースト〉に対して過度に熱中しています。そんな彼がある日、近所に住んでいる老人が実はアウシュヴィッツ収容所の副所長を務めていたドゥサンダーであることに気がつきます。少々手荒な方法で証拠を抑えたトッドはドゥサンダーに接触。真実を黙っている代わりに「当時のことを具体的に自分に聞かせてほしい」と脅迫します。過去を封印して静かに余生を過ごしたいと抵抗する老人からトッドはホロコーストでの情報を引き出そうと奮闘。そしてこの密会が進むにつれ、残酷な話に触発されるように2人の心の隅っこに潜んでいた、あるいは蓋をしていた凶暴性が徐々に引きずり出されて…。
みたいなお話🧐
始まりの頃、トッド少年にあったのは悪意ではなく純粋な興味。〈ホロコースト〉で行われていた残酷な拷問や虐殺に対して「怖しいこと」「許されないこと」であることは理解しているし糾弾する一方で、その残虐的な行為が実際どんな風だったのかについて知ることは不謹慎ながらも「ゾクゾク」=「ワクワク」してしまうような、そういう“知りたい”欲求。抑えきれない好奇心。しかし実体験者からリアルに話を聞くうちにどんどんとのめり込み、さらに脅迫していた老人の反撃をくらって心理的な駆け引きが発生していくことで、内なる狂気がどんどんと引きずりだされ、そして将来有望だった少年の人生が狂ってしまう…そんな〈恐怖〉を描いている作品です。
個人的に他の『恐怖の四季』(映画でいうと『ショーシャンクの空に』『スタンドバイミー』)は〈恐怖〉と前置きがあるも怖いイメージは全く無いのですが、唯一この『ゴールデンボーイ』だけはガッツリ〈ヒトコワ〉の範疇なのでは、と思います。
❷うーん🤔小説の方が良いな、という感じでした。
この物語の恐怖ポイントって、残酷な行為に対して無邪気な興味・好奇心を持ち合わせる人間の心理や、残酷な行為や会話を続けていくうちに徐々に内なる狂気に呑まれて行く様子、犯罪者と一緒に過ごすことで無意識に同調していってしまう環境の問題…等かと思いました。
その上で、小説で起きる恐ろしい展開は実は映画だとほぼ全て1~2段階ほどマイルドな表現に変更されています。例えば小説だと「死ぬ」けど映画だと「死ぬところだった」みたいな。もちろん映像化しているからこそ迫力がでている描写もありますし、音楽などの効果でドラマチックなっているシーンもあります。ただ、強烈だった展開がマイルドになってしまうと〈成績優秀で将来有望だった少年/ホロコースト時代がトラウマになり既に生気を失っていた静かな老人〉が〈狂気を取り戻し、取り返しがつかないほど凶暴化する〉という〈転落〉の度合いが低くなってしまって、魅力が半減しているかなぁとは思いました。
また、少年と老人は話が進むにつれてどちらが優位に立つかを巡り何度も心理戦を繰り広げるのですが、映画はシナリオをかなりそぎ落としていて展開が少ないです。小説であれば最初は優位に立っていた少年が老人に反撃され、困惑や混乱や闇落ちしていく過程が細やかに綴られるのに対し、映像ではそれがあまり伝わらず〈聡明な少年の失墜〉というよりも〈行き当たりばったりな浅はかな子供が順当に追い詰められる〉感が強めに出てしまい「なんだ…こいつ…🙁 💢」というキャラクターへのストレスを多めに感じてしまいました。
❸【完全ネタバレ注意!!】小説と映画の相違点と比較
自分用に映画と小説の相違点を書き出します。完全ネタバレ、長文かつまとまり無し(十数年前に双方1回触れたとはいえ、今回も1回しか見てないし読んでないので誤りもあるかも…)のため一番後ろに記載します。ご興味のある方だけ大らかなお気持ちでご覧いただけると幸いです。
📖🐝「久しぶりにスティーヴン・キングの小説を読みましたが、キャラクターの心情や行動についてかなり丁寧で詳細な描写をするので一文一文がけっこう長い!今、スタンリー・キューブリック版『シャイニング』と原作を比較してみようかと思い、上巻を読み終わったところなのですが、そちらも同様。学生の頃に「キングって思いの外、読みにくい」とずっと思っていたのですがこれが原因か~と今更思いました🤣」
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❸【完全ネタバレ注意!!】小説と映画の相違点
以下、映画版と小説版の展開や結末に対する完全なネタバレがありますので未鑑賞、未読の方はご注意ください。大筋は映画も小説も一緒です。ただ細かい部分での相違箇所が多いので「大きく違うな」と思った箇所だけ抜粋して比較。
【猫について】
・共通
老人は少年から脅迫を受けてホロコーストのことを語ったり当時の真似事をさせられたりすることで、封じ込めてきたアウシュヴィッツ収容所時代の自分が呼び覚まされ残虐性が引き出される。少年がいない時、
➡映画:ホロコーストでユダヤ人にしたように、家に立ち寄った猫を見つけ生きたままオーブンに入れて焼き殺そうとする。猫は抵抗して老人を引っかき逃げ出す。老人は笑いだし煙草をふかしながらオーブンを見つめる。(ただしずっと後に猫が行方不明になった張り紙が出てくるので後日やったかもしれない🤔)
➡小説:もうすでに現実と過去は混ざり合い、老人はかつてホロコーストでユダヤ人にしたように家に立ち寄った猫を見つけ生きたままオーブンに入れて焼き殺す。オーブンを見つめながら老人は笑いが止まらない。
【ホームレス連続殺人事件】
➡映画:なし
➡小説:すでに殺人犯としての自分が戻ってしまった老人は身寄りのないホームレスを何人も殺害し自宅の地下室に隠し込んでいく。一方、密会を続けたことで起きた様々な展開により、老人と少年の立場が逆転する(少年が老人を脅す以上に老人も少年を脅す切り札ができる)。それにより過度なストレスを抱えた少年はある日に1人でひっそりと明確な自分の意思を持ってホームレスを殺害し感情を発散する。
【老人の家で起きた事件】
➡映画:老人の正体に気がついたホームレスが老人を訪ねてくる。脅されて金銭を要求された老人は乱闘しホームレスを地下室に落す。止めを刺すために地下室に降りようとした瞬間、重症な心臓発作が起きてしまう。老人から電話を受けた少年は老人の家に向かう。老人は少年に「正当防衛だった、地下室へ下りれば一体何が起きたか分かる」と言う。少年が地下室に降りると老人は鍵を閉めてしまう。ホームレスは弱っているがまだ生きていてパニックを起こしていた。地下室に1対1で閉じ込められた少年はホームレスを殺害する。少年は老人の懇願に救急車を呼んだあと1人で死体を隠蔽する。老人は一命を取り留め病院で少年と2人になると問う。「人を殺す気分は?」少年は答えられない。老人は頼む「もう会うことはないだろう。眠るまでの間でいいからここにいてくれないか」少年はしばし病室に残る。
➡小説:老人は6人目の犠牲者とするためのホームレスを家に招き入れていた。そしてホームレスを殺害。しかし後片付けをしている最中に重症な心臓発作が起きてしまう。老人から電話を受けた少年は老人の家に向かう。そして現状を把握し怒りながらも、老人のこの行為や正体が世間にバレれば自分の今までの行為(戦争犯罪人と知っていながら老人と交流していたこと)がバレるとを恐れ、死体の隠蔽に手を貸し老人のために救急車を呼ぶ。老人は一命を取り留め、病院で少年と2人になると問う。自分はホームレスを何人か殺害し地下室に埋めている。世間は連続殺人事件と話題にしているがその中に自分の犯行ではないものが混じっている。それは君ではないか?死体隠蔽の時も君は怒ってはいたが死体を前にした行動は随分と平静だった。少年は答える。「ぼくは誰も殺してない」少年は思う。浮浪者は人間とは思えないし、と。老人は言う。君がどう言おうと私が嘘をつく理由はない。私たちは“お互いに”信頼しないかぎり縁が切れない、と。
【老人の死】
➡映画:老人と病室の相部屋になった男が実は収容所で妻と娘を亡くした過去があり、老人の正体に気がつく。男は震えながら看護婦に助けを求め、それが発端で世間に老人の正体が報道される。さらに警察やFBIの捜査によってホームレスの死体も発見される。病院には戦争犯罪人であること、なお殺人を行っていたことへのデモが詰め寄せ声を上げている。世間からの非難の声を聞きながらベッドの上で老人は管を抜き取り自殺。少年は警察とFBIから事情聴取を受ける。警察はトッドの証言に違和感がありつつも事件には無関係であると判断し、去る。
➡小説:老人と病室の相部屋になった男が実は収容所で妻と娘を亡くした過去があり、老人の正体に気がつく。男は怒り老人に詰め寄る。恐怖した老人は薬の過剰摂取にて自殺。「逃亡中のナチ戦犯が病院にて自殺した」という報道が世間を駆け巡る。少年は警察とFBIから事情聴取を受ける。警察は少年が老人に深く関与していることを確信している。しかし「少年が老人に出会ったのは13歳の頃。その年頃の子供は正体を掴んだならすぐに警察や両親に言ったはず。それなのに少年はなぜ黙って何度も老人の家に通ったのか」が分からない。そしてある答えに辿りつく。2人を引き合わせたのは〈残虐行為〉そのものであり、ナチスが行ったことは我々を恐ろしい魅惑へと掻き立てる何かがあるのかもしれず、そして殺人のそばに居続けるような環境下でそれに汚染されずにいるなど、不可能なのではないか。
【少年のスピーチ】
➡映画:卒業式のスピーチ代表に選ばれた少年はギリシア神話で有名な〈イカロスの翼〉のことを話す。イカロスは鳥の羽と蝋でできた翼で飛び立つが「(溶けてしまうから)太陽に近づきすぎないように」という親からの忠告を忘れ、飛ぶ喜びに夢中になり太陽に近づきすぎて転落してしまう。僕たちは知識や経験という翼を与えられた。その翼の正しい使い方を見極め社会に貢献するのがぼくたちの使命だ。僕たちの手には未来が握られているのだから、と。
➡小説:なし
【結末】
・共通
報道を見て、スクールカウンセラーのフレンチは前に少年から祖父だと紹介されていた老人が偽りだったこと、さらには戦争犯罪人だったことに気がつく(度重なる密会により少年の成績が著しく下がって問題となったが、少年は両親に秘密にし老人を祖父と偽ってスクールカウンセラーとの面談を切り抜けた)。フレンチは少年の家を訪問し、
➡映画:少年に詰め寄る。「君の両親と話したい」「君が祖父だと言った老人が別人でしかも元ナチ高官とはどういうことか」少年は「このことはお互いに忘れた方がいいと思いますよ」と言い、もし両親や世間に公表するならば「あなたが同性愛者でこれまで生徒に手を出しており、自分もその被害者であったと言う」と脅す。
少年「烙印を押されたら、一生消えない。一生だぞ」
カウンセラー「そんなことできないだろ」
少年「どんなことだってできるんだよ」
少年の貫禄さえある脅しにフレンチは退散する…END
➡小説:少年に尋ねる。「君が祖父だと言った老人が別人でしかも元ナチ高官とはどういうことか」少年はフレンチが不都合なその事実を触れ回りたがっていること、先ほどの警察の事情聴取も怪しいところがありおそらく警察は自分を疑っているだろうことに感づき、これから自分に起こる悲惨な未来について思考を巡らせる。少年は趣味で始めていたライフルに無意識に実弾を詰めていた。少年はフレンチに向かって引き金を引く。そして満足した後、ガレージに引き返し手持ちの実弾を全てかき集めてナップザックに詰め込む。そしてまた外に出て陽の光を浴び、少年は微笑み、目を輝かせ、ライフルを掲げる。「俺は世界の王様だ!」数時間後、警察はやっと少年を始末した…END
★゜。☆。゜★゜。☆。゜★゜。☆。゜★
❶でも記載した通り、当初の少年の目的は「話を聞きたい」ただそれだけ。「ぞくぞくする話を全部ききたい」という好奇心。「きみは怪物だ」という老人に対し「世間はアナタを怪物と呼んでいるのに、ボクが怪物なわけがない」と本心で返す。将来有望と周りから期待されていた少年も、もう静かにひっそりと余生を過ごしたいと願っていた老人も、心の奥底にある闇が引きずり出されてしまうのは一緒。この2人の中に生まれるお互いへの怒り、憎しみ、そして奇妙な友情が芽生えているのも一緒(と言いつつ、小説版の少年だけは老人には憎悪しか抱いていないようでしたが…)。嫌でも縁はしっかりと結ばれ、運命托生で破滅へと進んで行きます。
映画版の方にはオリジナルで卒業式のスピーチがあり、そこで少年は若者たちの未来のために「イカロスの翼」のお話をしますが、それが映画の分かりやすいテーマ性なのかも。過度な自信や無謀な行動の危険性がボーダーラインを超えて破滅。それは正しく小説版の少年。結末の衝撃度は小説に軍配があがるかも。ただマイルドな結末になっているとはいえ、スクールカウンセラーを脅す映画版の少年による〈老人との心理戦の集大成のような恐喝〉具合は、やはり人間としての一線は超えてしまっていてある意味で見事な成長具合なるも、今後が非常に不安ですね。その翼の使い方は正しいのかい?
※スティーヴン・キング
『ゴールデンボーイ 恐怖の四季 春夏編』
新潮文庫 浅倉久志訳