垂直落下式サミング

ワイルド・スピードの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

ワイルド・スピード(2001年製作の映画)
4.3
深夜のロサンゼルス、若者たちが大金を賭けたストリート・カー・レースに熱狂していた。仲間から一目置かれる天才ドライバー・ドミニクは、一夜にして大金を稼ぎ出す。そんな折、彼のもとにブライアンという新顔がやって来る。彼の正体は、強盗事件の犯人を追う潜入捜査官だったのだ…。
20年以上前の作品だが、肌の色や性別よりも内面によって強く結び付いた多様性が描かれていて、なるべくして世界的な人気シリーズになっていったのだな、と気づところが多く感慨深かった。
カーレースが題材なので、男社会なマッチョイズムを連想するかもしれないが、争われるのはドライビングテクニックであるため、そこは性別も国籍も関係ない世界なのだということが強調される。
ドムというカリスマとの関わりによって、捜査官ブライアンはストリートのバイブスに必要以上にのめり込んでしまう。ここにおいて、クルマの改造という要素が、主人公の自己啓発へと重なり、この物語を一際面白く推進させていくのだ。映画の手管が巧みで感心した。
クルマとは、工場で他人の手によって作られたモノだ。いくら速くて馬力があっても、あるいは格好いいデザインの希少モデルであっても、所詮は工業製品という限界がある。
それを、ガレージにこもって自己流で改造し、みずから運転席に乗り込み道路上を見事に操るハンドルさばきをみせることで、すごいヤツだ!とコミュニティから認められる。物質そのものよりも、後付けの調整と才覚のほうが重要。そういうことを言いたいのだと思う。
ヒトも同じ。つまりは、両親から受け継いだ遺伝子の設計図によって決められた肉体と、育った環境によって形作られたベーシックに、さらに新たなチューンナップを加えることで、新たな自己を確立し、屈強な男と対等な関係になれるのだと、ポジティブで実践的な方法論を見事に描いているといえる。
ここで描かれるのは町のあんちゃんたちのアレコレであるから、世界を救う走り屋の話になってしまったシリーズの現在地とくらべると物語の規模が格段にミニマムな一作目だ。
けれど、この頃からファミリーでバーベキューはお約束らしい。つい最近までは、「夏休みの予定は家族でバーベキューです!」だなんて、リア充陽キャの皆さまは御苦労なこってと思ってたけど、実はそうでもないってことがわかった。
あれは、とても優れたレジャーです。お盆休みに、友達だったり、親戚だったりを実家の両親の家に呼ぶと、みんなが肉とか野菜とかビールとかお菓子とかを持ってきてくれるから、それをシェアしていけば、かなり満足度が高いのです。しかも安上がり。
子供たちは、誰かが見てくれてるし、最悪そこらへんの庭とかで犬と遊ばせとけばいい。大人がたくさん動かなきゃいけないようにみえて、意外とそうでもないんだよな。
しかも、こんだけ楽なのに、家族サービスだとか、友達付き合いだとか、親孝行だとか、お盆休みの必須Weekly Missionが一手に片付く。あと、普段はごろごろの任せっきりバカも、家事に参加してる気になれる。素晴らしいイベントだと思う。
家夫長たちのバーベキュー好きは、生活の知恵なのですねぇ。「安上がり」「他のほうが高くつく」この言葉を獲得することで、飲み会スルーマインドでもじゅうぶんに楽しめます。マイルドヤンキーDQN文化だなんだと、そうバカにするものでもないですよ。