小人の暮らしの、その細部にこだわった愛情溢れる描写や透明感のある美しい音楽はさすがジブリとしか言いようがなく、液体の表面張力による粘性にまでこだわった映像表現などは「確かに、よく考えたらこうなるよな」という説得力がありました。
物理的な正確さをさらに追求したら、小人の動きは相対的に月面重力以下の世界の表現が正しいことになりそうですが……この話はおとぎ話なので、これでいいのです。
また、飼い猫ニーヤの描き方が明らかに「トトロ」のネコバスを意識しているようなところがあり、ニヤリとさせられる部分もありました。
小人たちは生活用品を人間世界から調達することを“借り"と呼ぶ。小人たちは、そうやって得たものを大切に利用して用心深く暮らしています。
過剰な消費に慣れた人間の暮らしとは対極の、慎ましく合理的なライフスタイル。そう思うと、借りと狩りをかけあわせた言葉に、思いがけず深い意味を見出してしまいます。
さらに言えば、物をほとんど所有せず、姿を見られれば移動する彼らには定住の地はないことから、仮、つまり一時的なという意味も読み取れます。これはまさに、日本語の妙ですね。
アリエッティは意気揚々と初めての借りに出て、自分はもう一人前だと思っていたのに、借りの失敗はおろか、存在を気づかれ家族を危険にさらしてしまいます。そんなときに見つけた「わすれもの」。
これを見たときの翔の善意に対しての自分の無力さや、小人の掟の間で揺れるアリエッティの心の機微や、お互いにひかれ合いながらも、住む世界や考え方が違いすぎて相容れないという、アリエッティと翔の微妙な関係も、甘すぎなくてよかったと思います。
しかし、ハラハラドキドキを売りにしている作品ではないとはいえ、物語の起伏があまりにも欠けています。
初めての借りのシーンも、お手伝いさんに捕まったアリエッティの母を助けに行くシーンも、いくらでもワクワクさせたり、ハラハラさせたりできそうなのに妙に淡々としていて、味気ない。躍動感が足りないというか、危機感が足りないというか……
危機感が足りないといえば、翔の心臓病という設定にもそれが当てはまります。母を助けるのに協力するのも、本来なら命がけのはずなのに、苦しそうだったり、一歩間違えば死にそうな感じがほとんど出ていない。
そのほか、森を抜けるのにも 色々な動物や虫がいるはずなのにすいすい避けてしまう。せっかくきた駆除業者もなにもしないで帰ってしまう。
あと、脚本の粗さも所々散見されました。心臓病の設定もそうですが、「君たちは滅びゆく種族なんだ」というセリフはメッセージ性云々よりも、「それ人前で言う言葉じゃないだろ!」と叫びたくなりましたし、お手伝いさんがなぜ小人たちを泥棒呼ばわりするほどに敵意を持っているのかもよくわからない。
確かに小人の借りは、借りた物を返している様子がないので「盗み」ととられる人も多いかもしれませんが、あくまで自分たちに必要な分しか持っていかないので、実質的な被害は取るに足らないもの。泥棒と呼ぶにはあまりにもささやかなのです。
そして最大の問題は、西洋風の世界観なのになぜ日本を舞台にしたのか、その意義が全く分からないということ。「日本に住んでいるのなら、小人の名前は和風なものになるんじゃないか?」と、疑問を持った方も多いのでは?
こうやって良い点、悪い点を挙げて行きましたが、非常に好みが分かれやすい作品のような気がしました。雰囲気や世界観が気に入れば多少退屈でも耐えられるが、苦手な人はとことん受け付けない、という具合に。
これを書いている私も評価に非常に悩みました。アリエッティ一家の暮らす部屋の中は本当に魅力的で、音楽や自然の美しさも文句なしだったのですが、やはり物語の起伏のなさは如何ともしがたい。